2011年10月20日木曜日

先住民の長征

   ボリビア北東部のアマソニーア(アマゾン川流域)には、面積109万hrの「イシーボロ・セクロ国立公園先住民領土(TIPNIS=ティプニス)」がある。ベニ州南部とコチャバンバ州北部にまたがる地域で、シリオノー、チマン、ヤラカレー、トゥリニタリオなどの民族が共同体をつくって住んでいる。地理的にボリビアの中央部に位置し、交通の要路となりうる戦略的な場所を占めている。
   南米には、「域内インフラストゥラクチャー統合(IIRSA=イイルサ)構想」という一大計画があり、ティプニスは、これに目をつけられた。大国ブラジルは、ボリビアを通過して太平洋岸のチリとペルーの港に出るための南米縦貫自動車道の建設を長年構想していた。前大統領ルイス・ルーラとボリビアのエボ・モラレス大統領(以下エボ)は、この道路建設で合意した。ブラジルは、パナマ運河や南米南端沖を通らずに中国、インド、ASEAN、日本などと物流の大動脈を築き、加米墨の両洋国家3国で構成するTLCAN=NAFTA(テエレカン=ナフタ、北米自由貿易協定)地域に対抗し、それを凌ぐ戦略を抱いてきた。それが、この道路建設で実現するというわけだ。
  ブラジルの国立経済社会開発銀行(BNDES)は、ティプニス通過部分の総工費4億ドルの80%を負担し、残り20%はボリビアが出す。工事を請け負ったのもブラジルの土建会社だった。

   ボリビア国内を通過する道路は支線も入れて総延長1402kmで、うち177kmはティプニスを通る。その工事が始まり、住民は危機に陥った。8月15日、住民組織は道路建設断固反対をあらためて宣言し、1500人の行進隊を組んで、600km離れた政治首都ラパスに派遣することにした。行進隊は、七色の先住民族旗や国旗をなびかせて、長くきつい闘いの旅に出た。
   ボリビアでは、首都から見て遠隔地の先住民、農民、鉱山労働者らが首都に徒歩で抗議に向かう行進行動はまったく珍しくない。あの「ウカマウ」の名画群でもおなじみの大行進の光景が、事あるごとに展開される。何百キロも難儀して歩き、帰りも同じ距離を歩く。歩く人々は、なけなしの交通手段、自分たちの足と脚で長距離を移動するしかない。それだけに真剣かつ本気なのだ。
   この抗議の「長征」が脚光を浴びたのは、9月25日のベニ州南部での行進隊と、その前進を阻もうとする建設賛成派のよそ者との衝突だった。エボの代理として仲裁のため割って入った先住民族であるダビー・チョケウアンカ外相は4時間にわたって行進隊の「人質」になり、待機していた警察機動隊が「救出のため」として介入し、実力を行使した。これにより、行進隊員を中心に70人が負傷した。

  この事件は、先住民族アイマラ人のエボの権威を著しく傷つけた。エボは、誰よりも「母なる大地(マデレ・ティエラ)」、「ビビール・ビエン(大自然と共存し善く生きること)」、「先住民族の復権」、「自然環境保護」を政治哲学の基盤に据えている。2009年には、スペイン人による侵略で3流市民、否、「市民外」に置かれ酷使され虐げられていた多数派の先住民族の「5世紀ぶりの復権」を実現する柱として、「多民族国家」建設の新憲法を公布した。そのエボが、自らの権力の末端にして最先端の警察を使って、最大の支持基盤である先住民族に暴力を振るった、と受け止められたのだ。
  反エボ派のメディアの一斉攻撃もあって、ティプニス住民だけでなく国中の先住民族に「裏切られた」との思いが拡がった。エボは9月26日、当座の妥協案として道路工事の一時中止を決めた。だが建設計画を廃棄するつもりはなく、ティプニス住民だけでなく関係両州の住民全体を対象として、道路建設の是非を問う州民投票を実施する方針を打ち出した。
  だが行進隊はその方針には見向きもせず、州都までの行進続行を決めた。ボリビア中央労連(COB=コブ)は28日、連帯のゼネストを打った。COBもエボの重要な支持団体だ。エボは、「警察の過剰行動」を謝罪せざるをえなくなった。

  エボは10月4日、アルバロ・ガルシア副大統領を通じて、工事の無期限停止を発表した。9日のチェ・ゲバラ処刑44周年記念日には、エボの開発主義へ抗議の動きが見られた。エボはまた、12日のクリストーバル・コロン(コロンブス)の米州(カリブ海)漂着記念日の名称を、政令で「非植民地化(デスコロニサシオン=脱植民地)の日」と変えた(それまでは「解放・アイデンティティー・多文化の日」だった)。エボの与党「社会主義運動(MAS=マス)」が多数派の国会は、大慌てでティプニスを「環境保護地域」に指定し、道路建設には事前の地元住民への諮問を義務付ける新法を制定した。だがエボと国会の対症療法は影が薄かった。
  それもそのはず、行進隊がラパスに迫っていたからだ。2000人に膨らんだ行進隊は、最大の難所である、標高4300mのアンデス山脈の鞍部を越えて、アルティプラーノ(中央高原)にたどり着いていた。いまや彼らは「英雄」だった。沿道の貧しい人々はなけなしの食料や水を提供し、学生や労農組織は行進隊を守った。一見、巡礼のようにも映る長い行列が、ラパスに向かっていた。
  高地の先住民族には、酸素をより多く吸収し蓄えるためか、生来の「鳩胸」がある。低地から来た行進隊の多くはアンデス越えと高原の行進で酸素不足に陥った。これを高原の人々が酸素吸入器を提供して守ったのだ。

  行進隊は8月半ばトゥリニダーを出発してから65日、ラパスについに到達した。数万人の大群衆が拍手で英雄たちを迎えた。幾山河を足と脚で踏破した彼らの鉄の意志を讃えたのだ。彼らは、パラシオ・ケマード(大統領政庁)の目の前のムリージョ広場で集会を開き、行進隊の指導者フェルナンド・バルガスは、「大統領は母なる大地、生態系(生物多様性)、自然環境の最大の破壊者だ。ティプニスにコカ葉栽培地を拡げようと図っている」と激しく非難した。
  たしかにティプニスは、エボの権力基盤の中核であるコカレロ(コカ葉栽培農民)の本拠地であるチャパレー地方に近い。同地方から遠くないコチャバンバ市内にはコカレロ組織の本部があり、エボはかつて、ここを拠点に政治活動をしていた。私は90年代半ば、この拠点でエボにインタビューしたが、エボは「コカ葉は神様、コカインは悪魔」と名言をはき、コカレロは合法の栽培をしているだけで、コカ葉がどう使用されるかまで気配りはできない、という趣旨の発言をした。
  ティプニスの道路建設賛成派には、エボの息のかかったコカレロの一団が混ざっていたと、行進隊は指摘する。エボの政治的出自と、大統領になった今もコカレロ組織を率いているエボの「倫理的在り方」に刃が突き付けられたのだ。

  行進隊は19日、エボの呼びかけに応じて、エボと20日に交渉するのを受け入れた。エボは、新憲法に基づく主要な新国家建設の基盤を決める重要選挙の最後と位置づける「司法選挙」を16日実施していた。憲法裁、最高裁の判事ら司法機関の28の要職に就く人々を選ぶ選挙だが、投票が義務制のため投票率は80%と高かったにせよ、非公式な算定で有効投票率は40%を切り、白票と無効票が60%を上回った。エボは選挙結果を有効と判断したが、投票動向はエボ人気の信じがたいほどの陰りを示した。
  「先住民族の復権」と開発主義は多くの場合、矛盾する。先住民に国富を還元するには一定の開発が必要だろうが、開発は先住民の「母なる大地」を破壊しがちだ。エボは昨年12月上旬、リティウム開発交渉を主要な議題として来日したが、私は記者会見場で久々に言葉を交わし握手した。その時のエボは、自信に満ちているように感じられた。ところが帰国後、「近隣諸国へのガソリン密輸を阻止するため」として打った「ガソリナソ」(石油燃料大幅値上げ政策)が貧しい人民大衆の暴動を招き、運輸業界の猛反発を食らい、エボは政策を白紙に戻さざるをえなくなった。ティプニス道路建設問題は、ガソリナソ事件に次ぐエボの大失策となった。

  エボは「母なる大地」に立つ「コスモビシオン(世界観)」をよく口にする。大統領就任以来、富裕層、保守右翼層、米政府の内政干渉を主要な敵として、これを撃破しつづけていたエボだが、自分と同じ先住人民との「同族間の争い」は泣き所だ。政権連続2期目のエボは次回大統領選挙には出馬しない。

  ティプニス問題の解決は、「人民(主として先住民族)に従いながら統治する」というエボの政治哲学を実践したものだ。だが、対ブラジル関係に影響を及ぼす今回の一大譲歩を境に、後継者問題が重要性を帯びてきた。エボは、同じ世界観を持つ同志を「予定より早く」育成しなければならなくなるはずだ。

(2011年10月20日 伊高浩昭)

★★★エボは10月21日記者会見し、ティプニスを通過する道路建設は断念した、と発表した。