2011年11月5日土曜日

FARC最高指導者戦死

現在も活動しているラ米で最も古いゲリラ組織「コロンビア革命軍(FARC=ファルク)」のアルフォンソ・カノ最高司令官(63)が11月4日戦死した。

  コロンビアのフアン・ピンソーン国防相は5日の記者会見で、同国南西部のカウカ州スアレス市外れのアンデス山岳地帯チリアデロ(標高2100m)で4日、国軍・警察連合部隊とFARCの10時間に及ぶ戦闘のさなか、カノは空爆を受けて負傷した後、戦闘で死亡した、と発表した。

  政府は数ヶ月前からFARC最高指導部に包囲作戦を仕掛け、カノを何度か追い詰めていた。政府は、「対FARC戦史上、最大の成果」と自賛している。米軍仕込みの電子諜報技術と、FARC内部の通報者によって得られた情報がカノ殺害につながったという。

  カノの本名は、ギジェルモ・レオン=サエンス。1948年首都ボゴタに生まれ、国立コロンビア大学で法学と人類学を学んだ。だが修了せず、コロンビア共産党(PCC)の青年部で活動し、理論家として名を馳せた。ソ連に数年滞在し、指導者として教育を受けたとされる。FARCはPCCの武闘部門として1964年に発足したが、カノは80年にFARCに入り、武闘を開始する。

  当時のFARCは、「伝説の司令官」マヌエル・マルランダ最高司令官の指揮下にあったが、カノは
最高指導部に早々と抜擢された。

  1991年8月、日本人2人(東芝技術者)がアンティオキア州内でFARCに拉致される事件が起きた。その際、身代金交渉で指揮を執ったのもカノだった。日本人2人は、身代金受け渡しがすんだ同年12月、州都メデジンで解放された。

  マルランダは2008年3月病死し、カノが第2代最高司令官に就任する。当時のウリーベ政権は、米軍の広範な協力を得てFARCを弱体化させ、後継のサントス現政権も指導部掃討作戦に力を入れていた。

  カノの死はFARCにとって痛撃だが、これによってFARCが和平交渉と武装解除の方向に簡単に進むと見る者はいない。それでもフアン・サントス大統領はFARCに、「戦いつづけても死か刑務所入りしかない」として、投降し武装解除に応じるよう呼び掛けた。

  サントスはウリーベ前政権で国防相を務め、FARC掃討戦に通じている。カウカ州都ポパヤンに飛び、カノの遺体を確認した。カノは濃い髭面で知られていたが、遺体に髭はなかった。顔から人物を特定されるのを警戒して、死の3日前に髭を剃っていたという。

  FARC書記局(7人)は5日、「コロンビアの平和は武装解除では成らず、武装蜂起を招いている根本的原因をなくすことによってのみ可能だ」として、武闘継続を表明した。

    注目点は、残存する最高指導部のうちの誰がカノの後任に納まるかだった。FARCは11月5日、
ティメレオーン・ヒメネス(52)、暗号ティモチェンコ、本名ロドリーゴ・ロンドーニョ=エチェベリを最高指導者に選び、同月15日発表した。有力視されていたイバン・マルケスは、序列2位になった。

  ティモチェンコは、ソ連に留学。1982年FARC入り。90年からFARC書記局員を務めていた。

(2011年11月5~16日 伊高浩昭)