2011年12月19日月曜日

皆既月食に思う

★☆★☆★☆★12月10日はアルゼンチン大統領クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル(CFK)の2期目の就任式の日だった。そのさなか、夜の日本では、久々の皆既月食が観られた。

    この日夕、講座を終えた私は、ブラジルに武者修行に行く若い友人のための小さな送別宴を池袋界隈のヴィエトゥナム料理屋で開いた。それから1週間経って、その友人がサンパウロから「無事着きました」と知らせてきた。そして「皆既月食は観ましたか」と訊く。

    そこで急遽、この小文を書くことにした。私は23時過ぎから24時過ぎまで1時間にわたって夜空を仰ぎつづけた。月が闇に消え、薄赤く丸い球体がしばらくの間浮かび上がり、やがて月が戻ってくるまでを、首を何度もマッサージしながら観つづけた。

    月は消えている間も、巨大なオリオン座を下方に従えていた。人類が永遠に到達できない大星座が、不思議にも月が隠れている間中、その赤月よりも近く見えた。

    私は1970年の3月だったか、メキシコ・オアハカ州太平洋岸のプエルト・エスコンディードという漁村で、皆既日食を取材した。わずか3分間の天体劇だった。暗くなるにつれて、そよ風が吹き始めた。「ピンポール現象」と呼ばれるそうだが、木の葉の影がみな三日月のように、えぐれてそって見えた。恋人たちは、束の間の暗闇で接吻しつづけていた。

    日本から来ていた天文学者たちのチームは、「この3分間に酔ったら、すべてを失います。心を鬼にして観察に集中します」と言っていた。

    私は、アカプルコから海岸沿いを車で何時間も飛ばして漁村に着き、皆既日食を観終えるや、直ちにアカプルコに引き返し、東京に原稿を送った。当時、漁村や途中の村々に電話はなかったのだ。橋のない川を筏で渡る難所で難渋しながらも、なんとか記事を送ることができた。

    星座といえば、日本で観た最高の星座は、学生時代に尾瀬沼を歩いた日の夜の星座だった。流れ星が降りつづけた。だが、国外で観た最高の星座は、ボリビア・サンタクルス州ラ・イゲーラ村の丘で仰いだ夜空だった。アンデス山中の標高2000m余の寒村に電気はなかった。夜は闇そのもので、大空を360度埋め尽くした星座と月が競って輝き合い、<喧騒>さえ感じたほどだ。人生最高の星座だった。

    この無限の★の群れをチェ・ゲバラと部下たちも必ずや観たに違いない、と確信した。チェは、この村の小さな学校の棟の中で、1967年10月9日処刑されたのだった。

    皆既月食の話が脱線した。この小文のジャンル=ラベルは、書くきっかけがブラジルに去った友人だったから、「ブラジル」にする。

(2011年12月19日 伊高浩昭執筆)