2012年1月17日火曜日

エル・サルバドール大統領が内戦中の虐殺を謝罪

▼▼▽▼▼エル・サルバドール(ES)内戦に終止符を打った1992年1月16日の和平合意調印から20年が経過した。その日、同国北東端のホンジュラス国境に近いモラサン県エル・モソテ村で、マウリシオ・フネス大統領が、同村で起きた虐殺事件を直接かつ正式に謝罪した。

    内戦中の1981年12月10~13日、陸軍特殊部隊「アトゥラカトゥル」は同村を急襲し、老人、女性、子供を中心に村人936人を虐殺した。内戦中に起きた最も大規模で残忍な大量殺害事件として内外で知られている。

    大統領は、「国家の最高指導者がこの事件を謝罪しない時代は終わった。私は大統領として、国軍最高司令官として、犠牲者と遺族に謝罪する」と、目に涙を浮かべ沈痛な声で述べた。

    虐殺された936人全員の氏名が1月15、16両日、新聞に掲載された。犠牲者の存在を氏名とともに記録し、保存して、忘却を阻止する事業の一環として行なわれた。

    内戦は1980年3月24日、首都サンサルバドールのオスカル・ロメーロ大司教が暗殺された事件に端を発し、政府軍とゲリラ連合「ファラブンド・マルティ民族解放戦線」(FMLN)の間で12年間続いた。米国が政府軍を、キューバ、ソ連、ニカラグアがゲリラ軍を、それぞれ支援した。7万5000人が死に、8000人が失踪した。

    和平合意は、メキシコ市のチャプルテペク城でES大統領、FMLN代表、国連総長が調印した。フネス大統領は、政党化したFMLNを政権党とする初の大統領で、だからこそ虐殺事件に謝罪することが可能だった。

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    私は90年代半ば、エル・モソテを取材した。村の小さな広場の片隅には、虐殺された村人たちの死体が放り込まれた大きな穴が残されていた。和平が成って数年後だったが、村人たちは依然怯えており、多くを語ろうとしなかった。

    広場の中心には、芸術家が鉄板を切り抜いて制作した男女と子供2人の家族を思わせる4人が手をつないでいる「犠牲者追悼碑」が建てられていた。記念碑は長らく風雨にさらされていたが、今では屋根や壁によって守られている。