2012年1月22日日曜日

ペルー人文化運動家が特別講義

☆★☆ペルーの首都リマ郊外の新興都市ビージャ・エル・サルバドール(VES)で「アレーナ・イ・エステーラス(砂とよしず)」という文化協会を運営しながら町興しと青少年育成に取り組んでいるアナソフィア・ピネード=トグチが1月21日、立教大学ラ米研「現代ラ米情勢」の2011年度最終講座で特別講師として講義した。

    VESが、1980年年代から90年代初めにかけて、極左ゲリラ組織「センデロ・ルミノソ(輝く道)」の拠点として使われ、テロ活動にも見舞われて、極めて危険で困難な状況に陥っていたころ、アナソフィアら数人の少女が暴力と対抗し、町を興していくため、文化運動を開始した。

    色で象徴すれば灰色の暴力が支配する<沈黙の状況>に、音と声、明るい色彩で対抗した。
それは、VESに住みついた貧しい自分たちが、人間として生きることの証明でもあった。そのようにして20年、VESも文化協会も見違えるほどに大きく成長した。

    その間、ペルー政府は、90年代のフジモリ政権から、新自由主義が支配していた。本来、国家が責任を負うべきさまざまな重要分野を民間に任せてしまい、政府は<管理人>に堕していった。それでは、勝手し放題できるようになった富裕層は喜ぶだろうが、貧者は浮かばれない。

    そんな多くの貧者の声が、昨年のオヤンタ・ウマーラ政権の発足で、部分的であっても取り上げられる可能性が出てきた。ウマーラが、社会政策を打ち出し、「国家の復権」を志しているかに見えるからだ。

    母方姓トグチは、沖縄の渡具知。本部半島の渡具知が遠い血の故郷だ。沖縄系3世のアナソフィアは、短期間だが、そこを訪ねて感動した。自分のルーツを知ったアナソフィアは、その<再構築>を試みつつ、新しいイデンティダー(認同=アイデンティティー)を確立していきたい、と言う。

    「東京の街、通りは静かだ。たぶん、日本人が周囲を気遣って静寂を保っているからだろう。それは、他者に敬意を払う日本の文化として素晴らしいと思う。しかし、ペルーでは違う。音、声、仕草、運動で存在を表し、かつ実感し、生きていることを自他ともに証明するのだ」ーこの言葉が印象に残った。

    アナソフィアは1カ月余りの初の日本滞在を1月28日終えて、帰国の途に就く。彼女が日本と沖縄で得た何かが、今後の生き方と活動に新しい視座を与えるのは確かだろう。