2012年2月4日土曜日

キューバ経済封鎖公式化50周年

▼▼▼▼▼ケネディ米政権が1962年2月3日「第3447布告」を発動し、キューバへの経済・金融・貿易封鎖を公式化してから、この3日で50年が過ぎた。

    米国は59年元日のキューバ革命後、キューバの外資国有化、農地改革、共産圏接近などを受けて、キューバへの輸出禁止、キューバ糖輸入割当量大幅削減などの封鎖措置を講じていた。
ケネディの布告は、封鎖を制度化し、拡大させた。

    米国が1898年の<米西戦争>以降、属領化していたキューバでの帝国主義権益が音を立てて崩れつつあったのを、米政府ははっきりと感じ取っていたのだ。

    アイゼンハワー米政権は61年1月キューバと断行し、政権をケネディに引き渡した。ケネディはアイゼンハワーが決めていた、傭兵部隊によるキューバ侵攻作戦を同年4月決行して、敗北した。

    ケネディは62年1月キューバを米州諸国機構(OEA=OAS)から追放し、2月封鎖を公式化した。フルシチョフ・ソ連政権は、次に来るのは米軍によるキューバ直接侵攻とにらみ、フィデル・カストロ首相(当時)と協議して、ソ連製核ミサイルのキューバ配備に踏み切った。

    その結果、62年10月のキューバ核ミサイル危機が勃発した。

    東西冷戦が89年終結し、91年にソ連が消滅すると、米国は社会主義キューバ打倒のため、
封鎖を強化させる。父親ブッシュは92年トリセリ法で、クリントンは96年ヘルムズ・バートン(HB)法で、キューバを締め付けた。米玖以外の第3国を巻き込む悪法だ。

    キューバはこれまでの封鎖による<被害額>を総額1000億ドルと計算している。

    国連総会は昨年も賛成186、反対2(米、イスラエル)、棄権3で、封鎖廃棄決議を採択している。米国は、これを無視しつづけてきた。

    ラウール・カストロ現政権は、市場原理を導入しての経済改革に慎重に取り組んでいるが、封鎖が足枷となっている。兄弟2代のカストロ政権は、キューバ経済停滞の主要な原因の一つを、米国による封鎖だと主張してきた。

    そこには、「責任転嫁の言い訳」の意図もないとは言えない。だが、封鎖による打撃の方が「言い訳」の狙いよりも、はるかに重く大きいのだ。