2012年2月3日金曜日

チャベス・ベネズエラ政権発足13周年

☆★☆ベネズエラのウーゴ・チャベス大統領(57)が1999年2月2日就任してから、この2日で13年が過ぎた。チャベスは、首都カラカスの大衆地区カティアの劇場での記念式典で演説した。

    「巨人は立ち上がり、自分の脚で歩き始めた」-チャベスは、ベネズエラを巨人にたとえて、強調した。

    チャベスは、ベネズエラがボーキサイト埋蔵量で米州1であることを指摘し、金、鉄鉱石、原油、天然ガスなどの埋蔵量も豊かなことに触れ、資源大国の意味を込めて「巨人」と形容したのだ。

    13年前に政権に就いた時点でのベネズエラの貧困率は50~70%とされるが、現在は20%台半ばに落ちている。チャベスは、これを最大の成果の一つとして掲げている。

    国内総生産(GDP)はその間、900億ドルから3000億ドルへと3倍強に拡大した。

    チャベスは陸軍降下部隊指揮官(中佐)だった1992年2月4日、新自由主義路線のカルロス=アンデレス・ペレス政権の打倒を狙って軍事クーデターを仕掛けたが、政府軍に制圧された。

    「あの行動は、国が陥っていた奈落の底から脱出するための歴史的必要時だった」

    チャベスは、そう述べた。チャベスは事件後、投獄されたが恩赦され、98年の大統領選挙に出馬し、得票率56%で当選した。

    2000年に現在の「ボリバリアーナ憲法」に基づく新たな大統領選挙で、あらためて当選を果たした。

    ところが02年4月11日、財界、軍部保守派など伝統的支配階層による軍民クーデターが発生し、チャベスはカリブ海の小島に幽閉された。

    だが、貧困大衆がカラカスの大統領政庁に向かって大デモ行進をかけ、これに動かされた軍精鋭部隊が決起し、13日、チャベスを政権に復帰させた。

    チャベスは04年、自身の罷免をかけた国民投票に勝ち、06年の大統領選挙で3選された。

    ことし10月7日、4選をかけて大統領選挙に臨む。保守・右翼の伝統的勢力を代表する諸野党は今月12日予備選を実施し、統一候補を決定する。

    チャベスは1月末現在、61%強の支持率を維持している。

    外交面では、キューバ、ボリビア、エクアドール、ニカラグアなどと「米州ボリバリアーナ同盟」(ALBA=アルバ) を結成して、ラ米左翼の中核となった。

    ブラジルやアルゼンチンと連携して、米国が設立しようとしていた「米州自由貿易地域」(ALCA=アルカ)を葬った。さらに、「南米諸国連合」(UNASUR=ウナスール)の結成にも貢献した。

    これらの外交上の成果を踏まえて、昨年12月3日、カラカスで「ラ米・カリブ諸国共同体」(CELAC)の創設にこぎ着けた。

    昨年6月、癌腫瘍の除去手術を受け、現在も定期検診を受けている。「前立腺癌で、転移している」との未確認情報が流れているが、チャベスは「全快した」と言いつづけている。