2012年5月18日金曜日

誰がビクトル・ハラを殺したか?

▼▽▼チリの著名なカンタウトール(シンガー・ソングライター)ビクトル・ハラをピノチェークーデター時に殺害したのは誰かー。チリのテレビ放送チレビシオンは5月16日、報道番組「焦点」でこの問題を取り上げ、容疑者と目される人物を取材し、映像とともに報じた。

▽その人物は、米フロリダ州に住む自動車販売業者の、ペドロ・バリエントス元チリ陸軍中尉。番組取材班は、2009年にハラ殺害者の一人として収監された元徴兵新兵ホセ・パレデスの、「私がハラを撃った時には、ある士官が至近距離から撃ったことによりハラは既に死んでいた」との証言に基づき、元士官を取材することにした。

▼パレデスは、今回の番組にも登場し、「バリエントスは国立競技場でハラの名を呼んだところ無視されて激怒し、ハラを撃った」と語っている。ハラは1973年9月11日の軍事クーデター直後に首都の技術大学(現サンティアゴ大学)キャンパスで逮捕され、政治囚臨時収容所にされていた競技場に連行された。ギターを弾けないようにと両手を痛めつけられるなど拷問され、9月16日殺害された。

▽バリエントスは当時、競技場を管轄していた陸軍連隊に所属し、新兵パレデスはその護衛官だったという。

▼取材班はフロリダ州でバリエントスに直撃インタビューしたが、バリエントスは「私は当時、競技場にいなかった。ハラを殺していない」と否定した。チリ司法当局はバリエントスに召喚命令を出し、2010年にはFBIにバリエントスへの尋問を要請した。今月初めにFBIは尋問したという。

▽取材班が「召喚に応じるか」と問うたところ、バリエントスは「応じたくない」と答えた。

▼チリ司法当局は09年6月、首都の一般墓地の墓からハラの遺体を取り出した。解剖したところ、銃弾44発を受けていたことがわかった。士官数人とパレデスが殺害の容疑者とされた。

▽ハラは、キューバ革命後にラ米で生まれ拡がった「ヌエバ・カンシオン(新しい歌)」の旗頭で、ラ米や欧州で絶大な人気を誇っていた。1970年のサルバドール・アジェンデ大統領の当選に貢献した。詩人パブロ・ネルーダと同じ共産党員で、ネルーダのノーベル文学賞受賞祝賀大集会が競技場で催された際、司会を務めた。1990年の民主化後、競技場にはハラの名前がかぶせられた。