2012年8月4日土曜日

~波路はるかに~第6回


82日エンセナーダにて伊高浩昭】PBオーシャンドゥリーム号は2日、メキシコ下加州の港町にして保養地のエンセナーダに寄港した。私は18年ぶりに訪れたが、街と周辺の景観が一変しているのに時の流れを感じた。タクシーで北方126kmの国境の町ティフアーナ市に行った。沿線は住宅開発で、新しい家々、高層アパルタミエント、別荘が連なっている。年金生活者ら米国人6万人が住み着いているという。
ティフアーナでは、まず海岸の国境線に行ったところ、ここも大きく変わっていた。メキシコ側の国境の鉄柵の一部には隙間がつくられていて、緩衝地帯とその先の米国側鉄柵が見えるようになっていた。その柵には「友人の間に壁があってはならない」、「壁に反対、橋に賛成」、「恥辱の壁」、「ベルリン-パレスティーナ-メキシコ」など、意味深い落書きの文字が続いていた。この壁が彼方の丘上まで繋がって見えた。壁はアリゾナ州との国境地帯では低くなり、やがてブラ-ボ川(グランデ川)が国境線となってメキシコ湾に至る。鉄柵の隙間から米国領を眺めていると、国境警備隊の巡視車がこちらを観察しながら通っていった。メキシコが、この地を観光名所にしているのがわかった。「メキシコはこの地点で終わる」と記した標石が建っていた。メキシコ政府が、160余年前に奪われた現米国西部への自国民の越境を取り締まることはない。
ティフアーナ中心街もすっかり変わっていた。観光化してしまっており、土産物店や酒場・レストランがひしめいている。だが旧中心部に、ずっと以前に泊まったことのあるカエサルホテルという古いホテルが残っていた。当時は一級ホテルだったが、いまでは三流ホテルになってしまったらしい。だが私がこの町にもし一泊せねばならなくなったとしたら、迷わずにカエサルに泊まるだろう。
このホテルの前のバーでテキーラを飲んだ。壁にはハビエル・ソリース、ホルヘ・ネグレテ、カンティンフラスなどの肖像画が描かれていた。主人は好人物で、しばし語り合った。いまやメキシコ人よりも私の方が往時のメキシコ事情に詳しくなってしまっており、しばしば彼らは私の経験や知識に驚く。人生の順番だから、仕方ない。観光レストランではなく、地元民の行く小さなタコス屋で、とびきり上等のカルニータ(豚肉のあぶり焼き)のタコスを頬張った。最高にうまかった。一個70円ぐらい。何と安くうまいのだろう! 少なくとも、この点においてメキシコ人は幸福だ。エンセナーダに戻ってから、再びタコスとテキーラを求めて散策した。46年の歳月を顧みながら、この乾いた火酒を味わった。
メキシコについての船内講座は1日までに、パブロ・ロモとの対談形式を含めて2回やった。カルフォリニア半島沖には寒流が流れており、一挙に涼しくなった。2日夜半、船は出航し、15日間の長い横浜までの最終航程に入った。