2013年4月10日水曜日

高野悦子さんへのオメナヘ(オマージュ)


 高野悦子さん(岩波ホール総支配人)が29日大腸癌で死去してから2カ月が過ぎた。日本人女性の平均寿命に少し及ばない83年余りの生涯だった。

 私は20余年、高野さんから岩波ホール上映の映画の試写会や、毎年末の同ホールでの忘年会に招かれていた。何年か前から体調をこわしたと聞いており、心配していた。

 訃報は2月半ば、私がチリの港町バルパライソに居たころ届いた。悲しかった。私の帰国は3月末の予定であり、太平洋の彼方に向けて手を合わせるよりほかに、どうしようもなかった。

 帰国すると、何と、高野さんの遺作となった自伝『岩波ホールと<映画の仲間>』(岩波書店)が届いていた。表紙の帯には「良い作品は、きっと受け入れられる」と書かれている。この言葉には、映画の紹介と上映にかけた高野さんの思いが集約されている。私は飛びつくようにして本を開き、読破した。

 奥付には「227日発行」とある。この日付に胸が痛んだ。死去の18日後である。高野さんは、意識を失う前に、この自伝の見本でも手に取ることができたのだろうか。

 私は急遽、書評をまとめ、月刊LATINAに送り、掲載をお願いした。すぐにできることは、これしかなかった。多くの人々がこの本を読むのを期待したい。

 高野さんは、映画についての造詣が並はずれて深く、たいへんな国際人だった。上品な笑いと愛想のいい話し方が魅力的だった。私には、話している時でさえ距離を感じざるをえない「眩しく崇高なお姉さん」だった。