2014年2月7日金曜日

インタビューされる立場になってわかった「合作」精神

 今週、インタビューを二つ受けた。一つは、フランスTV局のもので、「日本の給与生活者の生態」についてだった。友人の在日ラ米人記者が私を発言者に指名した、ということだった。私も「サラリーマン記者」だったことがある。その経験を踏まえて、現代の状況を思うままに話すしかなかった。

 もう一つは、日本のある季刊誌のカリブ海特集の中の「クーバ革命の意義」についてだった。これは専門分野なので、戸惑うことはなかった。
 
 ペリオディスタ・インデペンディエンテ(フリーランサー)になって久しいが、しばしばインタビューを受けるようになった。現在も含め半世紀近く、インタビューする立場であり続けてきているため、質問されて答えるのには違和感が否めない。

 しかし、インタビューを受けることによって、インタビューされる側の気持が従来よりもよくわかるようになった。これは私にとって、一つの進歩だ。

 インタビューするが、されもする。考えてみれば、これがいいのかもしれない。される側に立って思うと、インタビュアーの書く記事は、される側との合作だ、という思いが強い。

 ああ、私が何十年もインタビューして書いてきた記事や文章は、インタビューを受けてくれた人たちとの合作だったのだ、と今にして気がついた。遅ればせながらだが、気がついてよかった。