2014年5月23日金曜日

◎ピースボート「オーシャン・ドゥリーム」号「2014年・波路遙かに」第5回 伊高浩昭

 船は、一日かけてパナマ運河を通航した。記者時代に取材で1回、ピースボートでは7回目、計8回目の通航であり、新鮮さはない。来年末ごろ完成見込みの第三閘門式水路は通航してみたい。
 運河を出て、舵は南に切る。パナマ市新地区ヌエバパナマのスカイラインが海上に浮かぶ。4月にこの国の地下鉄第1号が新地区で開通したばかりだ。太平洋に出た。日本が近づいた。その意識が台頭する。
 コロンビア沖を南下する。イルカが浮沈する。トビウオが舞う。海鳥がやって来る。ある日の未明、赤道を越えた。エクアドール。キトとガラーパゴス諸島を結ぶ、目に見えない赤い船が脳裏に刻まれた。フンボルト寒流を横断するから、気温が下がり、寒くなる。ペルー情勢を語り、アンデス音楽を紹介した。
 カヤオでは、写真家義井豊、曲芸娘メリーナ、料理評論家枝元なほみが下船した。義井豊に連れられてリマ中心街、サンクリストーバル丘、ラルコマルを散策する。一日休養してから、メリーナのいる郊外のビーヤ・エルサルバドールを訪れる。団長のアナソフィアに再会する。振る舞われたキヌアと、アロス・ア・ラ・ハルディネーラがうまかった。
 最終日は政治評論家やベテラン記者に会い、ペルー情勢を取材する。ケイコ・フジモリは今のところ、次期大統領有力候補の一人だという評価だ。ケイコに会うつもりだったが、アンデス高地で遊説中とのことで、会えなかった。
 リマに来るたびに、新自由主義のビル街の拡大を見る。新自由主義街と、それを十重二十重に囲む巨大な貧困地帯の対峙する異様な光景は威圧的ですらある。
 船の職員が、『ウーゴ・チャベス  ベネズエラ革命の内幕』をカヤオに運んでくれた。初めて手にし、出来映えを見た。
 カヤオを出て2日目、ラパヌイの青年エンリケが歌い、踊り、語った。去年のマリオ・トゥキとは、またひと味違うたたずまいだ。彼を招いてラパヌイとポリネシアの音楽を紹介する企画が待っている。チリ情勢を語った。ラパヌイ到着前に「太平洋とはどんな海か」の前編を語る予定。

 好天だが、海は荒れている。トビウオがまた舞っている。(5月21日記)

2014年5月14日水曜日

◎ピースボート「2014波路遙かに」第4回=パナマにて=伊高浩昭

 カサブランカから10日航海し、11日目にカラカスのラ・グアイラ港に着いた。この大西洋・カリブ海航路が3分の2過ぎたころ、北回帰線を通過して熱帯に入った。とたんに暑くなり、連日、飛び魚の群が飛び交った。船を巨大な鯨とでも見なし、驚いて逃げ飛んだのだろう。
 北回帰線から西南西に斜めに下り、マルチニク島の南を、その島影を見ながら航行し、カリブ海に入った。この航路のさらに南にはセントルシア島があるが、遠すぎて見えない。
 15ヶ月ぶりのカラカスは、私にとって、チャベス死後最初の訪問だった。「チャベスは生きている、祖国は存続する」のスローガンがあちこち描かれている。「チャベスは生きている、戦いは続く」というのもある。壁面には、前方を鋭く見つめるチャベスの両眼が描かれている。チャベスの神通力は、この社会を辛くも支えている。
 船内講座は、ラ米概観、モンロー宣言200周年、ラ米軍政、クーバ革命、チェ・ゲバーラの人生、ベネスエラ情勢上下2回をやった。船上講師には、カサブランカから、料理評論家の枝元なほみ、
ベネスエラ青年オルケスタ「エル・システマ」の8人らが加わった。カラカスからは、環境写真家の藤原幸一、米国人元経済狙撃手のジョン・パーキンズ、アンデス文明写真家の義井豊、ペルーの「砂と葦簀(よしず)」(アレナ・イ・エステーラ)の17歳の女性団員、ベネスエラ外務省の東アジア担当の女性職員4人が加わった。オルケスタの青年たちは下船した。
 カラカスでは、盆地の外輪山に上って、放火の山火事で燃えた斜面に植樹した。大いにくたびれた。その夜、植物の名前を知らずに植えたのに気づき、専門家の藤原幸一に笑われた。2日目は、パンテオン、偉人記念碑、チャベス廟を訪ねた。廟では、感慨があった。インタビューした思い出やたくさんの記事を書いたことを思い巡らせた。キャロルの本を訳したばかりだったこともある。
 夜は、「エル・システマ」トップの室内楽団の演奏を聴いた。素晴らしかった。その後、ニコラース・マドゥーロ大統領が、住宅建設計画に基づき建設されたアパルタミエントを住民に引き渡す、全国統一中継番組の放送現場を取材した。6年前に東京で会ったマドゥーロは外相だったが、今は最高指導者だ。地位が少しずつ人をつくっているのか、貫禄が増していた。
 2月上旬以来の反政府勢力による街頭行動は、下火になったが、散発的に狙撃手による殺人などが起きている。大統領は、住宅引渡しの番組のさなかに2~3度、特定されていない殺害事件の犯人に対して警告した。
 帰船してからは、カラカス首都圏担当相ビジェガス、バルガス州知事ガルシア=カルネイロらと会食した。両人と対話したが、得るところが少しはあった。知事からは、2002年クーデター時の様子を書いた著書をもらった。カラカスを離れてからは、パナマ運河史を語った。パーキンスと会食した。彼とベネスエラ外務省職員はコロンで下船した。藤原も、ガラーパゴス行き組を率いて、グアヤキルに飛び立った。
 コロンでは3年ぶりに、クナ民族のモラ制作師ワゴ・メンデスと会い、ビールを飲んだ。明日は一日かけて運河通航だ。第3閘門式水路建設工事現場を遠望できるかいなかが問題だ。2年前に通航したときには見えなかった。


2014年5月1日木曜日

☆ピースボート「2014波路遙かに」第3回 =「翼休める燕」=伊高浩昭

 アドリア海を離れて3日、スペイン内戦とジブラルタル史について講演した。船は、アンダルシーアのモトゥリール、英領ジブラルタル、モロッコのカサブランカに一日ずつ寄港した。モトゥリールからバスでグラナーダ市に行った。40年ぶりのグラナーダだった。友人らがアルハンブラを見たいというので、付き合った。市中心部の巨大な大聖堂も見た。そして港に引き返した。
 ジブラルタルは、千田善とエル・ペニョン(巨岩)を巻くようにして歩きに歩き、ほぼ一周した。西国との「国境」から、彼方にセウタの見える南端までだ。ジブラルタル空港の滑走路を歩行者も車も横切る。離着陸する航空機があると、サイレンが鳴り、通行が遮断される。のどかな光景だ。だがエスパーニャは、植民地奪回の夢を捨てていない。時折「ヒブラルタル・エスパニュール」と叫び、気勢をあげる。今は静かだ。
 昨年夏、ラホーイ政権は、腐敗を暴露され退陣の危機に瀕したが、突如ヒブラルタルで「緊張状態」をでっち上げて世論の目をそらせ、危機を乗り切った。亜国政権がマルビーナス諸島の領有権問題を持ち出して、反政府世論を反英に向けるのと同じ手法だ。
 ギリシャから船上講師として乗っていたロマーナ(ジプシー女性)のパトリシアがヒブラルタルで下船した。ヒターノス(ジプシー)の人権闘争を展開している彼女の話は興味深かった。いずれ詳しく記事にする。良い友人ができた。
 カサブランカは、友人らと、カスバに囲まれたメディナの市場を散策した。野良猫が肉や魚のおこぼれをちょうだいしていた。ここにも、野良ちゃんたちを皆で飼う愛情があった。映画「カサブランカ」の舞台になぞらえた「リックスカフェ」が、Hホテルの入り口脇にある。他愛ない。
 観光客向けのレストランでないと、ビールさえ飲めない。女郎蜘蛛のような怪しげなマダムのいる真っ暗な酒場で辛くもビールにありついたが、気が抜けていた。千田善はここで下船、一泊してから東京に向かう。ヨルダンのアカバから乗ったパレスティーナとイスラエルの青年男女10人は、モトゥリ-ルで下船した。
 その前夜、彼らは2週間に亘る議論の経過を先客に公表した。難民、入植、分離壁、安全保障、パレスティーナ国家建設、領土、拘束者、個人と政府の見解、市民による抵抗運動、の9項目について議論したという。
 一人ずつ感想を述べたが、当初は対立感情が理性を凌ぎ、議論ができなかったという。イスラエル人女性が、イスラエル政府はパレスティーナ領土の占拠をやめるべきだ、と語ったのが印象的だった。PB船上での数年来の両者の対話には既に1000人が参加している。PBが平和情勢活動の一環として貸座敷役を務める価値ある実例がまた増えた。
 船はカリブ海を目指し西へ航行中。船客の関心が、次の寄港地カラカスに向いている。ラ米基本知識、ラ米対北米、冷戦期のラ米軍政の講座は既に済ませた。ベネスエラ情勢の講座が近づいている。

 燕が10羽、PBで翼を長時間休めていた。どこから来てどこに渡ろうとしているのか。大西洋を飛ぶ渡り鳥の本能、勇気、無謀を考えた。この船に辿り着けずに海に落ち、魚に食われた渡り鳥は計り知れないほど多いはずだ。哀れ、胸が痛む。