2015年7月4日土曜日

岡本太郎美術館での「竹田鎮三郎展」が7月5日終わる

 川崎市多摩区の岡本太郎美術館で4月25日から開かれてきた、メヒコ在住52年の画家竹田鎮三郎の作品展「メキシコに架けたアートの橋」が7月5日、最終日を迎える。

 愛知県瀬戸市生まれの竹田は、同郷の画家北川民次に憧れ、1963年渡墨した。私はその4年後の67年、メヒコ市で竹田に会って以来、48年間、交流してきた。

 その67年制作の木版画「我がメヒコでの暮らし」は懐かしい作品だが、今作品展のポスターにも使用されている。竹田は、当時確立しつつあった作風を半世紀かけて完成させ、メヒコの豊饒な芸術大地に、メヒコ人の巨匠たちに引けを取らない画風を築きあげた。

 岡本太郎画伯が、メヒコ市内インスルヘンテス南大通りに面したラマ公園に建設中だったオテル・デ・メヒコの入り口のサロンの大壁に、壁画「明日の神話」を描いた時、メヒコに絵画留学していた日本人画家の卵たちを集めて画伯に協力したのが竹田だった。

 同じ公園の一角には、壁画家ダビーAシケイロスの作品の集大成である立体壁画「人類の行進」に包まれたシケイロス文化殿堂がある。これも当時、建設中だった。

 シケイロスのパトロンだったマヌエル・スアレスが、岡本太郎に「明日の神話」の制作を依頼したのだった。当時の経緯は、拙著『メヒコの芸術家たち シケイロスから大道芸人まで』(1997年、現代企画室)の「万人と対話した巨匠」を参照されたい。

 竹田展は明日5日終わる。