2016年11月30日水曜日

フィデル・カストロ前議長のハバナでの国葬終わる

 クーバ革命の最高指導者だった故フィデル・カストロ前国家評議会議長の葬儀が11月29日、ハバナの革命広場で執り行われた。広場に面したホセ・マルティ記念館に安置された遺骨の前を、クーバ市民とともに来賓たちが通過した。

 実弟ラウール・カストロ現議長(85)が、ミゲル・ディアスカネル第1副議長、ホセ=ラモーン・マチャード副議長(共産党第2書記)、ラミーロ・バルデス革命司令官(副議長)と共に、遺骨を納めた小さな棺の両側に立つ「グアルディア」(警護)を最後に務めた。

 夜になってから革命広場を埋めた数十万人の市民を前に人民葬が催された。ラ米・カリブ諸国からベネスエラ、ボリビア、エクアドール、コロンビア、メヒコ、ニカラグア、エル・サルバドール、オンドゥーラス、パナマ、ドミニカ共和国、スリナムの11カ国大統領、ウルグアイ副大統領、ホセ・ムヒーカ同国前大統領、ジャマイカ、バハマ、ドミニカ、セントルシーア、アンティグア・バーブーダ、セントヴィンセント・グラナディーンの6カ国首相が参列した。

 フィデルがクーバ軍や軍事顧問を派遣したアフリカからは南アフリカ、ナミビア、ジンバブウェ、赤道ギネア、カボヴェルデ、ウガンダの6カ国大統領、アルジェリア国家評議会議長が出席。欧州からはギリシャ首相、ロシア下院議長、スペイン前国王ら。アジアからはイラン副大統領、中国副主席、ヴェトナム国会議長らが参列。

 米国からは、大統領顧問ベン・ローズ、ジェフリー・デローレンティス駐玖大使。このほか多くの国から外相、特使、大使らが参列した。日本からは古屋日玖友好議員連盟会長が出席した。

 各国首脳が順次、短く演説。エクアドールのラファエル・コレア大統領は、「フィデルは無敵だったが、寿命にだけ敗れた。生きた時代に名誉を与えて死んだ。信念の人フィデルは信念をクーバ人民と大なる祖国(ラ米)に植え付けた。たぶん強風がラ米を見舞うかもしれない。ラ米は団結せねばならない」と強調した。

 ベネスエラのニコラース・マドゥーロ大統領は、「フィデル、あなたの業績は世界人民を永遠に照らす灯台だ。革命遂行を誓い、勝利の道を歩み続ける」と語った。

 ニカラグアのダニエル・オルテガ大統領は、「フィデル、どこに居る?」と大群衆に問いかけた。群衆が一斉に「ここに居る」と応えると、「彼は逝かない、無敵のまま居続ける。祖国の偉大な歴史によって絶対に無罪を宣告された」と続けた。モンカーダ兵営襲撃後の裁判でフィデルが展開した自己弁護の締めくくりの言葉「歴史は私に無罪を宣告するだろう」を踏まえている。

 ギリシャのアレクシス・チプラス首相は、「フィデルは、社会変革が恒久的な闘争であることを教えてくれた」と前置きし、「我々もまた、新自由主義の市場法則という圧政と闘わねばならなかった」と述べた。

 最後にラウール議長が謝辞を述べ、語った。「世界中から数え切れないほどの連帯を受けた。フィデルは貧者の貧者による貧者のための社会主義革命を指導した。その革命は反植民地主義、反アパルトヘイト、反帝国主義、人民の解放と尊厳のための戦いの象徴となった。彼の言葉はきょうこの革命広場で響きわたっている」。

 「遺骨の前で、あなたの不朽の模範に従い続けることを誓う。愛するフィデル、今ここに国家の英雄ホセ・マルティ像と共にあるが、この場所に半世紀以上に亘って、並はずれた苦難の日々に集い合い、重大な決定に際して人民に諮問した。私たちが勝利を記念したこの場所で、殉死者、戦士、英雄的人民と共に<勝利の日まで必ず>と叫ぶ」。

 (1960年代からマイアミで亡命生活を送っているカストロ兄弟の妹フアーナ・カストロは、「私たちは政治的理由で離ればなれになったが、肉親としての感情は続いている。妹として兄の死を悼んでいる」と、マイアミで語った。)

 遺骨は30日、東部のサンティアゴデクーバ市まで約1000kmの葬送キャラバンの旅に出た。1959年1月、革命戦争に勝ったフィデルがハバナまで1週間かけて凱旋演説をしながら辿った道を逆に進むのだ。

 12月3日、同市内のアントニオ・マセオ革命広場で告別式が挙行され、4日、遺骨は埋葬される。 

ハイチ大統領選挙の暫定結果判明、Jモイーズ当確

 アイチ(ハイチ)暫定選挙理事会(CEP)は11月28日、今月20日実施の大統領選挙の暫定開票結果を発表。ミシェル・マリテリー前大統領の政権党だった「テトゥカレ・アイチ党」(PHTK)の候補ジュヴネル・モイーズ(48)=バナナ業者=が得票率55・67%で当確となった。モイーズは、国民に大同団結を呼び掛けた。

 「テトゥカレ」とは、禿げ頭を意味。スキンヘッドのマルテリー前大統領が自ら政党名にした。

 この選挙には27人が出馬。モイーズに続く有力候補は3人で、野党「進歩・ハイチ人解放代替連盟」(LAPEH)のジュディ・セレスタン(54)は19・52%に留まっている。セレスタンは29日、「でっちあげだ」として、開票結果を認めないと述べた。

 3位は、「デサランの子供たち綱領」のモイーズ・ジャンシャルル(49)で、11・04%。やはり結果を認めないと語った。4位は、かつてのジャンベルトゥラン・アリスティド大統領の政権党だった「ラバラス家族党」のマリース・ジャンシャルル(女医)で、8・99%。彼女も「選挙クーデターだ。支配層が勝利を略奪した」と、結果を認めない。

 CEPは理事9人で構成されているが、うち3人は、暫定結果を示す書類に署名しなかった。CEPは12月29日、最終公式結果を発表する予定。米州諸国機構(OEA)の選挙監視団は29日、暫定結果は概ねOEA集計と符合すると明らかにした。

 ハイチでは昨年10月、マルテリー大統領の後継者を決める大統領選挙を実施。モイーズとセレスタンが1、2位になり、決選に進出することになったが、モイーズ陣営の大規模な不正が発覚、決選は延期されたものの、結局無効とされ、今回の出直し選挙となった。

 マルテリーは今年2月任期を終え、上院議長だったジョスレム・プリヴェール暫定大統領の下で選挙が実施された。

2016年11月29日火曜日

ブラジル野党がテメル大統領弾劾を国会に要求

 ブラジルの野党「社会主義と自由の党」(PSOL)は11月28日、国会下院のロドリーゴ・マイア議長に、ミシェル・テメル大統領を弾劾裁判にかける手続きを開始するよう正式に要求した。理由は、私的事項に権限を行使したこと。

 大統領の側近で大統領府長官だったジェデル・ヴィエイラ=リマは25日、バイーア州内に持つ不動産に関する私的案件を処理するため、文化省管轄下にある歴史文化財庁(IPHAN)に圧力をかけたことが暴露され、辞任した。マルセロ・カレーロ前文化相が、リマの発言を録音、これを証拠として提示していた。

 カレーロはまた、同じ案件でテメル大統領も圧力をかけたと暴露、大統領発言を録音していたことを明らかにした。PSOLはこれを受けて、弾劾裁判を下院議長に要請した。受理したマイア議長は、「根拠がない」と述べており、弾劾裁判には否定的だ。

 ヂウマ・ルセフ前大統領の政権党だった労働者党(PT)も、テメルに辞任を要求している。テメルは、ルセフを強引に弾劾に持ち込んだ守旧派の筆頭で、テメル政権は正統性に欠けている。

 一方、国営石油会社ペトロブラスの巨額の汚職事件に関与、収賄した下院議員たちは24日、お手盛り恩赦法案を採択しようとしたが、テメルが27日、腐敗事件のお手盛り恩赦は許さないと言明。法が成立しても拒否権を行使すると述べた。だが当のテメルにも、ペトロブラス絡みの巨額収賄嫌疑がかけられている。

 ルセフ前大統領は、過去には弾劾条件にならなかった決算処理を理由に弾劾された。テメルの影響力行使は重大な逸脱だ。テメルは深刻な事態に陥ったが、現状ではマイア議長が弾劾裁判手続き開始に踏み切る可能性は乏しい。

 因みに、クチンスキ・ペルー政権のマリアーノ・ゴンサレス国防相は28日、愛人を月給4600ドルの顧問に採用していたことが醜聞事件となって辞任に追い込まれた。
 
 
 

~~波路遥かに2016年10~11月~第7回メキシコ・ハワイ~~

 グアテマラのケッツァール港を出て中2日、「コロンビア内戦の和平合意」と「メヒコ壁画運動と壁画家たち」を話す。マンサニージョ港に着く前の日、音楽番組でメヒコの歌を流した。ゲストには、船上講師仲間のパブロとマルタ=エレーナのメヒコ人夫妻を招き、最後に別れの曲「ラ・ゴロンドゥリーナ」をかけた。2人は感涙を吹きながら、客席に別れを告げた。

 元カトリック司祭、現在、大学教授のパブロ・ロモは、1994年のサパティスタ蜂起後、この武装人民組織とメヒコ政府の和平仲介という困難な工作に従事した。いまも国内の武力紛争などで仲介作業をしている。

 「世界化(ムンディアリサシオン)と全球化(グロバリサシオン)」の講演は面白かった。「もう一つのよりよい世界」を創るのを目指すのが世界化、弱肉強食の資本主義深化を狙うのが全球化という構図だ。

 マルタ=エレーナは現代舞踊家。創作舞踊が得意で、どんなテーマでも、自ら振付け、踊ってしまう。2人はアテネのピレウス港から船客として乗り、パナマを出てからメヒコまでの講師になった。連日、乾杯し語り合った。

 その間、ニカラグア大統領選挙があり、現職のダニエル・オルテガが難なく連続3選を果たした。来年1月就任すれば、80年代と合わせて通算4期目となる。ソモサ家父子3代の長期独裁を1979年の革命で倒したオルテガは今、「長期一族支配」を批判されている。今回当選した次期副大統領は、オルテガ夫人ロサリオ・ムリージョなのだ。

 オルテガ夫妻の長期支配の野心には、建設作業を開始してしまった「ニカラグア大運河」を何としても完成させるという夫妻の意地が込められている。

 マンサニージョのシンボルは巨大な青色のカジキマグロの造形だ。その舞台で日本側の博多祇園太鼓、沖縄エイサーと、メヒコ側の民俗舞踊が披露された。パブロ夫妻と、実君らスペイン語通訳3人はここで下船した。「別れは悲しいけれど、別れなければ会う時が来ない」の言葉を贈った。

 この日、米大統領選挙が実施された。その結果は9日未明、船に届いた。その日の夜、PB職員が手分けして収集した英語と日本語の情報を基に、私は「緊急報告会」を開いた。ブロードウェイの大広間は超満員となった。誰もがヒラリーの勝利を信じていたところ、トランプがまさかの当確を果たしたからだ。

 その後、「太平洋とはどんな海か」2回続き、歴史、日本人移民史、日米開戦、戦後関係、文化など「ハワイ」2回続きを講演した。また、性的少数派、非差別部落出身者、混血日本人など日本の少数派代表を壇上に招いて、討論会を催した。「船内9条の会」の「思いやり予算」についての会合には、招かれて出席、意見を述べた。

 ウルグアイ前大統領ホセ・ムヒーカの「清貧なる生き方」を語ってほしいと頼まれては、今年4月来日したムヒーカを東京で取材したことや、ウルグアイ現代史を踏まえて語った。これまた超満員で、ムヒーカ人気の高さが窺えた。

 船客の中にいる沖縄出身の若者たちは「沖縄の日」を企画した。彼らに乞われて、軍事基地問題について壇上討論会を催した。沖縄の若者男女が自ら設問し自ら回答する自問自答を通じ、自身と沖縄共同体を分析し掘り下げた。私は音楽番組で、喜納昌吉、海勢頭豊、嘉手刈林昌(「刈」は草冠付き)、上条恒彦の歌う沖縄の歌を流した。

 ホノルル前日には、パブロ・ネルーダ朗読会を開いた。わずか3回の読み合わせだったが、スペイン人1人を含む14人は情熱をこめて読んでくれた。俳優志望の若者が男女一人ずついて、この二人が中心になってくれた。詩を朗読する文化は、こうして少しずつ拡がってゆく。

 ホノルルに着いた。2年半ぶりだ。私は港の近くを少し散歩しただけで下船、空港に向かい、羽田空港行きのJAL機に乗った。船上講師はマンサンニージョから乗った若手のテンダー君(小崎悠太)だけになった。闘う自然生活者テンダーとは、1年前の航海でタヒチ-横浜間でも一緒だった。 後は彼に託した。

 11月18日夜、東京に帰還する。寒くなかったので助かった。これで今回の「波路遥かに」は終わった。オーシャン・ドゥリーム号は今日11月29日昼、横浜港大桟橋に帰港、30日神戸港に着いて第92回航海を終える。
  

岸田外相がキューバ大使館を弔問

 11月25日死去したフィデル・カストロ前議長への弔問は在京クーバ大使館で27日~12月4日行われており、28日、岸田外相が訪れた。同外相は昨年の訪玖時にフィデル邸に招かれ、会談している。

 岸田氏はミゲル・ペレイラ大使と、来日中のロドリーゴ・マルミエルカ通商・投資相に迎えられた。この日午後、外務省で岸田・マルミエルカ会談があり、経済関係拡大について話し合った。

 クーバの国喪は26日~12月4日で、28日、フィデルの遺骨はハバナ市内の革命広場にあるホセ・マルティ記念館に安置され、弔問を受けている。29日には同広場で人民葬が執り行われる。

 遺骨は30日、国内各地巡回に出発、12月3日サンティアゴデクーバに到着。アントニオ・マセオ広場で告別式が催され、4日、聖母イフィヘニア墓地に埋葬される。

 国葬にはベネスエラ、ボリビア、ニカラグア、エクアドールの4カ国大統領、フアン=カルロス前スペイン国王のほか、ギリシャ首相、ロシア下院議長らの参列が決まっている。

 一方、28日、アメリカン航空マイアミ-ハバナ定期便の運航が開始され、一番機がハバナに到着した。米ブルージェット航空NY-ハバナ定期便も始まり、同じく一番機が」到着。デルタ航空定期便は12月1日就航する。

2016年11月28日月曜日

メキシコ人学生43人失踪事件から26ヶ月

 メヒコ・ゲレロ州イグアラ市一帯で2014年9月26~27日起きたアヨツィナパ教員養成学校生43人強制失踪事件および市民殺害事件から11月26日で26カ月が過ぎた。事件は未解明のままだ。

 この日、遺族、家族、学生、市民、人権団体などの300人はイグアラ市内を行進。検察庁支部、州政府支庁、州教育当局などに抗議した。

 首都メヒコ市でも遺族、学生らが「アヨツィナパ記憶行進」と銘打って目抜き通りを行進。「中米行方不明者の母たちの会」の母たちと抱擁し合い、励まし合った。

 特にグアテマラ、オンドゥーラス、エル・サルバドールの中米北部三角形3国から、米国行きを目指して何万人もの少年少女がメヒコに入り、行方不明になる。母たちは娘や息子を探しにメヒコにやってきて、当局に捜査や捜索を求めているのだ。

 学生、教員、知識人らは12月10日、アヨツィナパ校で人権擁護をめぐるフォーラムを開くことにしている。

 また遺族や支援者は11月23日には、首都にある国会下院を訪れ、事件解明を急ぐようあらためて要請した。ある遺族は、「政府は私たちを黙らせるため何百万ペソの現金で買収しようとしてきた。私たちは、人民が支援してくれる浄財1ペソを選ぶ」と語った。

 事件には陸軍、連邦警察など中央政府機関の関与の疑いが濃厚で、それが証明されれば、エンリケ・ペニャ=ニエト大統領には命取りになる。だから事件は解明されない、と世論は厳しく観ている。

~~波路遥かに2016年10~11月~第6回ジャマイカ-パナマ-グアテマラ~~

 ジャマイカは北西端の観光地モンテゴベイに入港する。秋田県とほぼ同じ面積の島国で、対角線つまり南東端に首都キングストンがある。首都はいろいろな意味で面白いが、保養地は、それを楽しむつもりのない者にはつまらない。

 記者時代から何度も来ている所、特に取材上の興味はない。今回は船内生活でなまりがちの足腰を鍛えるため、港から中心部まで5kmの海岸通りを1時間余りかけてゆっくりと歩いた。

 海浜のディスコテカはレゲエの踊り場で、ビールやラム酒を飲みながら何時間も踊り続ける。汗をかけば、海につかる。売店では、ブルーマウンテンコーヒーやラム酒を売っている。

 武者爺と羽後さんは下船した。カナダ西部で過ごしてから帰国するとのこと。夜出港、パナマ運河北岸(カリブ海)のコロン市クリストーバル港に着くまでの中一日には、パナマ史とパナマ運河史を語った。

 クリストーバル港に入港。11月に入った。 ジャマイカで乗った草緑色の小鳥は、運河通航中に密林に消えた。また移民鳥が出た。

 クリストーバル・コロンの姓名をクリストーンバル港とコロン市の名前に分けて使っている。太平洋岸に最初に到達したスペイン人の名前バルボアは、パナマ市の港名とパナマ通貨の名となっている。

 パナマは6月に来て取材したばかりなので、港構内で休養した。夕刻、友人ワゴと何年振りかで再会した。クナ民族で、モラの専門家だ。たまに乗船し、モラを語ることがある。

 翌日、早朝から運河を通航する。運河入口の東側に6月開通したばかりの運河第3水路入口が見えた。通航中、時折、第3水路を通航中の巨大コンテナ船のコンテナの山が密林の上をゆっくりと動くのが見える。旧来の運河は10回は通った。一度、第3水路を通航してみたいものだ。

 パナマ市のバルボア港を横に観て太平洋に出る時、東方の彼方にパナマ市新都心の高層ビル群のスカイラインが見える。「パナマ文書」事件の中心となっている弁護士事務所は、そこにある。

 運河を出て中2日で、グアテマラのケッツァール港に着く。これに備え、グアテマラ史を講義した。同港1日目は、乗り合いタクシーで行ったアンティグア市で独りのんびり過ごした。4年ぶりだった。いつ来ても思うのだが、半世紀前とほとんど変わらない風情だ。

 2日目は資料整理に当てた。船の陰に群がる魚たちは飢えている。大きな魚が小魚を追いまわし、食べてしまう。束の間ながら共食いを止めさせようと、パンくずをやった。船はメヒコのマンサニージョ港を目指す。

2016年11月27日日曜日

フィデル・カストロ前議長の遺骨は12月4日埋葬へ

 クーバ政府は11月26日、前夜死去したフィデル・カストロ前国家評議会議長の国葬日程を発表した。フィデルの遺言により、遺体は火葬する。26日から12月4日までの9日間を国喪に服す。28日から2日間、ハバナの革命広場にあるホセ・マルティ記念館に遺骨は安置され、人民の弔問を受ける。

 30日、遺骨は国内を東部に向けて移動、12月3日サンティアゴデクーバのアントニオ・マセオ広場で告別式が挙行される。4日、同市内の聖母イフィヘニア墓地に埋葬される。この墓地にはホセ・マルティ廟や、革命の戦いで死去した殉死者ら英雄たちの墓がある。葬儀委員会は、ラウール・カストロ議長以下、革命体制の最高指導部で構成されるもよう。

 サンティアゴ市は歴史的に反逆者や革命家が生まれた地であり、フィデルの生まれ故郷や、フィデルが革命戦争の指揮を執ったマエストラ山脈に近い。

 フィデルは8月13日、90歳となり、その後、イラン、ポルトガル、日本(安倍首相)、中国、アルジェリアの首脳を自邸に迎えた。最後に面談した外国首脳は、11月15日のヴェトナム元首だった。

 世界中から弔意が寄せられている。ラ米関係を挙げれば、最重要同盟国ベネスエラのニコラース・マドゥーロ大統領は、「フィデルは任務を完遂した。安らかに平和に飛び去ってください。私たちはあなたとチャベスの旗印の下で尊厳と自由を人民のために取り戻す任務を遂行してゆく」と述べた。

 ボリビアのエボ・モラレス大統領は、「フィデルへの最良の敬意表明は、世界人民の団結を図ること。彼が帝国主義と資本主義に抵抗しことは決して忘れない」。エクアドールのラファエル・コレア大統領は、「巨人が逝ってしまった。フィデルは、もう一つのよりよい世界が可能なことを示した。大なる祖国を築くことこそが最良の敬意表明となる」。

 ニカラグアのダニエル・オルテガ大統領はクーバに連帯し、9日間の国喪を宣言。「フィデルはクーバ革命を指導しただけでなく、クーバに留まることなく、世界各地で約束を果たすべく、諸国人民の解放に尽力した」と強調した。1979年7月オルテガらが勝利したニカラグア・サンディニスタ革命を支援したのもフィデルだった。

 ホセ・ムヒーカ前ウルグアイ大統領は、「フィデルは時代の息子だった。キホーテ(ドン・キホーテ)級の大きな存在だった。世界最大の強国と対峙しつつ、長らく歴史を生きたからだ。当時(米帝国に対し)勇気、決意、抵抗力を持つことは並大抵のことではなかった」。

 コロンビアのゲリラ組織FARCのロドリーゴ・ロンドーニョ最高司令は、「フィデルは常にコロンビア内戦を政治的に解決するよう働きかけてくれた。新最終和平合意は最良の敬意表明となるだろう。フィデルの最後の呼び掛けである<人類は自殺しつつあり、道を正さねばならない。地球上で人類という種の生存を保障する方式を探らねばならな>の言葉を抱き続けたい」。
 
 
 

2016年11月26日土曜日

★★★★★革命家フィデル・カストロ(90歳)が死去

 20世紀ラ米最重要の出来事と位置付けられるクーバ革命を1959年元日なし遂げ、革命体制を半世紀に亘って率いたフィデル・カストロ=ルス(90)が11月25日夜(日本時間26日昼過ぎ)死去した。実弟ラウール・カストロ国家評議会議長(85)がテレビを通じ、沈痛な面持ちで発表した。国葬の日程については26日朝、明らかにされる。

 フィデルは、人間味とカリスマあふれる熱血の革命家であると同時に、権謀術数に長けたずるがしこい政治家だった。1956年12月から59年元日までの革命戦争中から1976年の社会主義憲法制定までの長い期間、さまざまな権力闘争で政敵を次々に失脚させ、権力を固めた。最大援助源だったソ連の言いなりにもならなかった。

 1989年の天安門事件で中国の社会主義体制がぐらつくと、フィデルはアンゴラ覇権クーバ軍の現地司令官で、人気の高い英雄だったアルナルド・オチョア陸軍中将ら軍と内務省の高官4人を「麻薬取引に関与した」として、国家反逆罪で裁き、銃殺刑に処した。

 これは、当時、米政府からかけられていた「カストロ指導部の麻薬取引関与」疑惑を打ち払い、併せて、国内の反体制派を沈黙させる冷酷な荒療治だった。

 フィデルの泣き所は経済建設だった。それに成功したことは一度もなく、ラウールが陰でしりぬぐいし、辛くも国家経済を支えていた。ソ連消滅で経済がどん底状態に陥った90年代、カストロ兄弟は、米政府の体制打倒圧力を撥ね退け、台頭した国内反体制派を厳しく弾圧して、21世紀に革命体制を延命させた。

 しかしフィデルは2006年7月、大腸癌と指摘された重病で倒れ、ラウールら集団指導部に実権を委譲、08年2月、正式にラウールが実権を握った。破綻した台所事情を誰よりも知るラウールは、11年の第6回クーバ共産党大会で市場原理を正式に導入。今年の第7回党大会では、新しい「クーバ経済社会モデル」の構築に着手した。

 その間、12年7月から極秘裏に対米関係正常化交渉に入り、14年12月、正常化で合意。15年7月、玖米両国は54年半ぶりに国交を復活させた。米国と敵対的関係を続けたのでは経済建設が困難ないし不可能になると見るラウールは、積極的に正常化深化に努めてきた。

 そんな矢先、今月8日の米大統領選挙でクーバに厳しい姿勢を見せるドナルド・トランプが当選した。正常化深化の目論見が狂ったラウールは、来年1月20日発足するトランプ政権との厳しい対峙関係を覚悟、国防を含め、対策を準備している。

 国父フィデルは、ラウールにとって外交政策の最大の御意見番だった。その死は、大きな痛手だ。内外の反体制派は勢いづくだろう。

 一方、フィデルとクーバ革命が1960年代以降、世界に残した「革命的遺産」は大きい。国際社会の変革可能性を証明したのがクーバ革命だった。アンゴラ独立を守り、ナミビアを独立させ、南アフリカの人種差別体制を崩壊に導いたのもクーバ軍だった。

 学生時代の1962年からクーバ情勢とフィデルの言動を見守ってき、フィデルにあちこちで会う機会のあった私は、大きく深い感慨をもって、フィデルの死をいま迎えている。

 (私の16年生きた雄の愛猫<玉二毛=たまにけ>も、フィデルに先立ち26日未明、死んでいった。日本時間でフィデルと同じ日である。)  

2016年11月25日金曜日

~~波路遥かに2016年10~11月~第5回バハマ-キューバ~~

 船はNYからバハマの首都ナッソーに着いた。NYでヤンキーの雀2羽が乗船、甲板レストランのパンくずを盛んについばんでいたが、ナッソーでうち1羽が港に近い椰子の林に飛んで行った。渡り鳥ならぬ移住鳥はこうして生まれる!

 だが1羽は船内に残った。どこまで同道するのだろう。日本の入管を通るだろうか? 気になって仕方がない。バハマに着くまでの中2日間は、バハマ史を講義し、さらにクーバ訪問に備え、国交再開に至る玖米関係を話した。

 ナッソーはラ米・カリブ33カ国の中で、一人当たり所得が一番高い。だが観光とオフショー金融で持っている。いずれも他力本願の産業であり、長年これに頼っていれば、自力更生、自助の精神は弱まってしまう。外資と外国人観光客の遊びの楽園、投資家や富裕層の脱税天国と批判されてきた。

 クリストーバル・コロン(コロンブブス)は1492年10月12日、バハマ諸島のある島に漂着、その島をサンサルバドール島と名付けた。ナッソーの政府庁舎の前には小さなコロン像がある。

 政府関係機関をはじめ3権の施設はみな、壁が桃色に塗られていて、わかりやすい。熱帯の島なのに、役人や護衛らは、真っ黒なスーツで身を固めている。これは、カリブ諸島の流行の一つだ。観光客らは、港近くの酒場に群がり、ラム酒、ビール、ほら貝の厚い肉を食べていた。

 ナッソーからハバナの間の中1日、武者爺と広範なテーマで対談した。学生時代から論文を読み発言を聴いていた知の大家と演壇に並ぶとは、考えたこともなかった。武者爺、羽後さんとは船内酒場で、よく飲み語り合い、閃きを得た。

 ハバナは、自営業者が大きく増え、あちこちで営業していた。外貨に対応する兌換ペソと、安いクーバペソのどちらでも物資を買える店が数多く出来ていた。ラウール政権の、二重通貨統合促進政策の現れだ。一方で、伝統的な配給所では、鶏肉を安く売っていた。渋面の市民たちが黙して順番を待っていた。

 来年封切られる日玖合作映画「エルネスト」の阪本順治監督の補佐を務めたクーバ映画人ロランド・アルミランテには8月東京でインタビューしていたが、再会し、自宅での昼食会に招かれた。面白い談義が展開された。

 その後、星条旗ひらめく米大使館を見てから、海岸通りマレコンを歩き、メイン号爆破事件記念碑の下で、仲睦まじい白人男と黒人女に会った。男性は建設現場で働いているが、資材不足で毎半ドンという。女性は家事手伝い。

 革命広場に行くと言うと、遠いから近道を案内しようと言われ、ハバナリブレホテル、ハバナ大学、コロン墓地を巻いて、広場に行き着くことができた。ここを見ないと、ハバナにいる気分になれないのだ。

 そこからは乗り合いバスで港近くに行った。彼らから生活苦を詳しく聞いた。市場経済原理の正式導入から5年半、市民の間の経済格差は開く一方だ。空腹がたまらないと言う。めったに飲めないというラム酒の大瓶を買い、道案内のお礼に渡した。タクシーとバスは使ったが、ずいぶん歩いた。それなりに取材ができた。

 船内で、1968年の日玖合作映画「キューバの恋人」(黒木和雄監督、津川雅彦主演)を流した。先に、オリヴァー・ストーン監督の「我が友ウーゴ」(2013年)を流したのに次ぎ2本目の映画鑑賞。

 実り多い2日間の滞在だった。国連総会は、米国の対玖経済封鎖解除決議を賛成191、反対無し、棄権2(米国、イスラエル)で可決した。1992年以来連続25回目の可決だが、ずっと反対していた米国(イスラエルも)は初めて棄権した。次の政権に封鎖解除を託したのだ。ハバナは、この「歴史的勝利」に沸いていた。

 それが26日。翌27日には国連総会第1委員会(軍縮)が「核兵器禁止条約」交渉を来年開始するという決議を、賛成123カ国、反対38カ国、棄権16カ国で可決した。唯一の被爆国日本は、米国に同調して反対に回った。ピースボートの反核専門家、川崎哲は国連で怒りの声明を発表した。

 船はジャマイカに向かう。音楽番組でボブ・マーリーの人生とレゲエを紹介。講座ではジャマイカ史を語った。夜半、暴風雨が襲来した。夜が明けると、雀がいなくなっていた。心が痛む。
  

コロンビア政府とFARCが新和平合意書に調印

 コロンビアのJMサントス大統領とゲリラ組織FARC(コロンビア革命軍)の最高指導者ロドリーゴ・ロンドーニョ(ティモチェンコ)は11月24日ボゴタ市内のコロン劇場で、内戦終結のための新最終合意書に署名した。大統領は、これを「コロン劇場合意」と名付けた。署名が済むと、和平交渉代表団、国会議員ら800人の来賓は総立ちで拍手し、「やった、やった」と叫んだ。

 最初の合意書は8月まとまり9月26日カルタヘーナで調印されたが、10月2日の国民投票では超僅差で承認されなかった。その直後、サントス大統領はノーベル平和章受賞が決まった。大統領は、その「威光」にも支えられてFARCと再交渉に入った。11月12日ハバナで新合意書がまとまり、この日の調印となった。

 大統領は調印後に演説、「内戦の死者、行方不明者、負傷者、被害者と家族は途方もない苦難を強いられた。内戦は国を暴力の迷路に陥れた。内戦の高く痛ましい負債があるが、我々はこの歴史的機会に内外に向けて、新らしい合意書に署名した」と強調。全政党、全勢力に積極的支持を呼び掛けた。

 大統領が明らかにした日程によると、国会は28日以降、新最終合意書承認の是非を決める。これは国民投票に代わる手続きだ。承認されれば、その5日後、FARCゲリラは国内各地に特定されている集結所に集結。90日後に武装解除を開始、150日後には武装解除が終わる。FARCが保持していた武器はすべて、国連の代理機関であるCELAC(ラ米・カリブ諸国共同体)に渡される。

 サントスは、「武装解除されたFARCは政党になる。新合意はカルタヘーナ合意よりも優れている」と述べた。

 FARCのロンドーニョ最高司令は署名後、「新合意には全既得権益享受者の意見も反映されている。局外者は誰もいない」と指摘。「人民は暴力と不寛容に飽き飽きしている。屈辱や見せかけの取り繕いでなく、深い変化を求めている。内戦に終止符を打ち、矛盾を文明的市民として解決するため、言語を唯一の武器とする」と語った。

 ロンドーニョはまた、「コロンビアは(1948年の政治家ガイタン暗殺以来)70年、暴力抗争に苛まれ、半世紀に亘って内戦が続き、和へ交渉が33年間も断続的に続いた」と、2012年以来のハバナ和平交渉に至った経緯を振り返った。

 一方、最高裁は24日、元国家諜報機関兼秘密警察(DAS)長官ミゲル・マサ=マルケス退役将軍に、政治家暗殺事件関与の罪で禁錮30年の実刑判決を下した。

 1989年8月18日、ボゴタ郊外のソアチャ市で遊説中、自由党大統領候補ルイス=カルロス・ガランが銃撃され殺害された。事件の黒幕アルベルト・サントフィミオ元下院議員は24年の禁錮刑に服役中だが、マサ=マルケスはサントフィミオから依頼され、麻薬組織メデジンマフィア、警察、極右殺害団と連携、ガラン暗殺を決行した。

 ガランは、人望と人気が高く、次期大統領の最有力候補だった。この大物暗殺(マグニシディオ)は1948年のガイタン暗殺事件の再来と捉えられた。  

 

2016年11月24日木曜日

中国がラテンアメリカ専門記者500人育成へ

 中国の習近平国家主席は11月22日チレを訪問、ミチェル・バチェレー大統領と会談した。両国は、既存の自由貿易協定(FTA)の現代化・深化のための交渉開始趣意書など12の合意文書に調印した。

 主席は、サンティアゴで開かれた「中国・ラ米カリブ報道機関指導者会合」にも出席、向こう5年間に中国人のラ米カリブ地域専門記者500人を育成する、と発表した。

 また、中国に「中国・ラ米カリブ報道交流中心(センター)」を建設し、ラ米カリブ諸国の記者を招く、とも述べた。主席は、リマでのAPEC首脳会議出席後、チレを訪れた。

▼ラ米短信  ベネスエラのニコラース・マドゥーロ大統領は11月23日カラカスで、ホセ=ルイス・ロドリゲス=サパテーロ前スペイン首相と会談、「民主連合会議」(MUD、反政府政党連合)と対話を続けてゆくと述べた。サパテーロは、南米諸国連合(ウナスール)派遣の対話仲介使節団の団長格。

 対話は、「和平・法治国家尊重・国家主権」、「真実・正義・犠牲者賠償」、「経済社会・信頼醸成」、「選挙行程」の4議題で10月30日、11月11~12日と2回実施され、次回は12月6日に予定されている。

 政情は、マドゥーロ大統領罷免の是非を問う国民投票実施の請求に必要な反政府勢力の署名の扱いをめぐって紛糾してきた。有権者の1%(約20万人)の署名を審査していた国家選挙理事会(CNE)は10月20日、その署名に不正があったとする地方裁判所の判断を受け、同月26~28日に予定されていた第2回署名運動期間(有権者の20%=約400万人)を延期した。

 これに対しMUDは、圧倒的多数を占める国会で10月25日、大統領弾劾の手続き開始を決議した。しかし最終決定権を持つ最高裁は政府系判事で占められているため、国会による弾劾の実現可能性は乏しい。

 MUDはサパテーロのほか、このほどカラカスを訪れたトーマス・シャノン米国務省政務担当次官補とも会談している。

 一方、デルシー・ロドリゲス外相は11月23日、ベネスエラが加盟する南部共同市場(メルコスール)の加盟資格をめぐって、12月1日までにベネスエラが加盟要件を整えなければベネスエラは投票権を失う、とウルグアイ外相が述べたことに反駁した。また、ベネスエラは投票権だけでなく発言権も持つべきでないと述べたパラグアイ外相をも糾弾した。

 要件には、加盟諸国間の人の自由往来を規定する「域内居留合意」や「人権規定」が含まれている。

2016年11月23日水曜日

LATINA12月号乱反射は「キューバ映画人インタビュー」

◎最近の伊高浩昭執筆記事

★月刊誌LATINA

▼2016年12月号 「ラ米乱反射」連載第128回 「キューバ人は参加型社会主義に懸ける  映画人ロランド・アルミランテ語る」

 阪本順治監督、オダギリジョー主演の日玖合作映画「エルネスト」で監督補を務めたキューバ映画人に東京とハバナでインタビューした。この映画は来年のチェ・ゲバラ歿後50周年直前に封切られる。

書評:『子どもと共に生きる  ペルーの「解放の神学」者が歩んだ道』 アレハンドロ・クシアノビッチ著、五十川大輔編訳、現代企画室 2800円

▼11月号 「ラ米乱反射」連載第127回 「メキシコ人学生43人失踪事件から丸2年  <国家テロ>ゆえ解明しない政府」

 2014年9月23日発生した「アヨツィナパ事件」の経緯と真相を描く

書評:『インディオの気まぐれな魂』 エドゥアルド・ヴィヴェイロス=デ・カストロ著、近藤宏・里見龍樹共訳、水声社、2500円

▼10月号 「ラ米乱反射」連載第126回 「ブラジルに正統性なき政権出現  五輪宴の後、<クーデター>が完成」

 腐敗にまみれた政治屋テメルは早速日本を訪れた。

書評:『サバイバー  池袋の路上から生還した人身取引被害者』 マルセーラ・ロアイサ著、常盤未央子・岩崎由美子共訳、ころから 1800円

★週刊読書人 11月18日号 書評『子どもと共に生きる』(上記)

★週刊金曜日 11月11日号 書評『子どもと共に生きる』(上記)

★NGOレコム機関冊子そんりさ10月29日号(VOL158) 「ラ米百景」連載第60回 「現代に繋がる過去の悲惨な事件」
 70年前にブラジル日系社会で起きた「臣道連盟事件」(勝ち組・負け組事件)に触れる

★映画「ホライズン」(オリソンテス=水平線)冊子 「常に<革命の祖国>と共に」(アリシア・アロンソとのインタビューを踏まえた解説的記事)
 
 この映画は、クーババレエ界の永遠のプリマドンナ、アリシア・アロンソの半生を描いた2015年クーバ・スイス合作(アイリーン・ホーファー監督、71分)。11月12日から東京都写真美術館ホール(03-3280-0099)、角川シネマ新宿(03-5361-7878)などで公開


 

~~波路遥かに2016年10~11月~第4回ニューヨーク~~

 久々のNYマンハッタンをハドソン川から眺める。昼、友人一家3人が来訪、船上で会食する。次いで、別の友人、NY在住30年に及ぼうとしている音楽家の大竹史朗が来訪。ギタリストにして、作曲家だ。歌も歌う。かつてはモダンダンサーでもあった。

 若いころ、アタウアルパ・ユパンキに心酔、一瞬の出会いに閃きを得て、亜国フォルクローレに集中した。ユパンキから「エル・アリエロ」(馬を引く人)、言わば吟遊詩人パヤドールに近い呼び名をもらった。

 今では、バッハの古典から現代アメリカ(大陸世界)音楽に至る統合的な「イベロアメリカ」音楽の創設に邁進している。だがフォルクローレも大切にしており、ユパンキと聞き間違うほどのギターの演奏技術も保っている。

 牛車ならぬ、彼の車に揺られながら、ハーレムのアフリカ系街、同ラ米系街を散策。次いで、イースト川沿いを抜けて、グリニッジヴィレッジへ。その間、エル・アリエロの語る言葉を取材した。いずれ記事になるだろう。

 夜は、オーシャン・ドクリーム船内で、事務次長を含む国連の関係者、ジャーナりストらNY在住者500人を招いての会合と、大パーティーに史朗と共に出席、参加した。何人もの懐かしい顔ぶれに再会した。

 「おりづる」(被爆者ら)一行と反核兵器チームは、この日、国連を訪れ、反核運動を展開した。

 二日目は、大ぶりの雨の中、傘ささず、びしょぬれになって、3時間近く歩いた。埠頭から中央公園角のコロンブスサークル、ブロードウェイ。タイムズスクエアを経て、数ブロック先を曲がり、帝国ビルに出、五番街。途中、ロックフェラープラザから曲がって、埠頭に戻った。

 友人の居るK通信NY支局に寄ろうかと思ったが、大統領選挙間近ゆえに、訪問を敢えて避けた。(後で、寄ってほしかったと、その友人からeメイルで言われた。)

 NYを離れ行く船上から、9・11事件の後に聳え立つ新しい高層ビルを眺めた。NYからは西語CC(通訳)3人が乗ってきたが、その一人から、スペイン関係情報会社イスパニカの井戸光子前社長が癌で20日死去したと伝えられた。四半世紀来の友人だった。

 その後、間もなくして今度は、登山家の田部井淳子の癌死の情報が届いた。同じ20日のことだった。思えば、かつて船上講師仲間同士。成田からNYに同道し、NYやタンパを歩き回り、愉快に談笑したお姉さんだった。ラテン名を付けてほしいと言われ、「アンディーナ」と名付けた。「アンデスの女」を意味する。登山家にふさわしく、とても喜んでいた。

 去年末、第88回航海でタヒチ・サモア間をご一緒するはずだったが、病院検査で田部井さんは乗らなかった。このため船内で、登山家田部井さんに関する会合を開いた。そのころから予感はあった。追悼会合を開かねば。

 オランダは、アムステルダムの東インド会社の支店をカリブ海のクラサオ(キュラソー)に置き、マンハッタンと三角航路を拓いていた。だが英国との戦に負け、マンハッタンを奪われ、代わりに南米北部のギアナをもらった。それが今日、独立してスリナムになっている。

 武者小路爺が87歳の誕生日を迎えた。船内の大食堂と和式酒場で祝宴を開いた。船はバーミューダ三角海域を航行、バハマに向かう。
 

2016年11月22日火曜日

25年来最悪の旱害直面のボリビアが緊急事態を発動

 ボリビアのエボ・モラレス大統領は11月21日、過去25年来最悪の旱害に直面しているとして、国家緊急事態を発動した。大統領は地球温暖化が原因とし、ボリビアは過去100年来、最も気温が高くなっていると指摘した。

 国営水道会社EPSASは同日、政治首都ラパス、エル・アルト、コチャバンバ、オルーロ、ポトシー、憲法首都スクレ、タリーハの主要7都市に飲料水の配給制を敷いた。

 ラパスでは既に過去2週間、3日ごとに3時間だけという厳しい上水道使用制限が敷かれてきた。同市人口80万人の半数に影響が及んでいる。

 既存の主要貯水池の貯水量は最大容量の10%以下に落ち込んでおり、大統領は各地で貯水池建設が急がれる、と述べた。

 各地で断水や水不足に対し抗議行動が起きている。特に灌漑用水が不可欠な農村や、大量の洗浄水を使う鉱山で不満が渦巻いている。

~~波路遥かに2016年10~11月~第3回ニューヨークまで~


 レイキャビックからNYまでの1週間は、国連で核兵器禁止条約が議論されているのに関連付けて、「反核兵器」が中心テーマとなった。反核兵器専門家であるピースボート共同代表・川崎哲を中心に、さまざまな国籍の反核活動家らが連日華々しくも真剣に討論した。

 広島・長崎への原爆投下を命じた故トルーマン大統領の孫クリフトン・トルーマン・ダニエル(59)=米地方コラムニスト=は、「広島原爆投下に関する記述を乗せた教科書を読んだ息子に触発され、2012、13年、息子らと訪日、被爆者証言を聴いた」と切り出し、被爆死した佐々木禎子の家族と交流し、折り鶴を通じて平和を発信する活動をするに至った過程を語った。ミズーリ州内にあるトルーマン大統領記念館の名誉館長であり、館内に「禎子伝承」の在米窓口を設けている。

 NHKが今夏流した原爆投下の真相では、軍部が原爆投下の効果を確認するための実験として日本の5カ所を標的に選び、トルーマン大統領の意志が定かでないまま最初の2カ所に投下された事実が明るみに出された。あまりにもひどい惨劇に驚愕した大統領側近は3発以降の投下を禁止した。だがトルーマンは「多数の米兵の命を救い、早期終戦を招くため必要だった」と釈明せざるを得なかった。これについてクリフトンは、「その番組内容は私にとっても初耳だった」と言った。

 原爆投下時にエノラゲイなど米軍機2機のいずれにも搭乗していた軍事技士を祖父を持つアリ・ビーザー(28)は、被爆者について米国人に伝え、祖父のことを日本人に語りながら、「戦争という過ちを繰り返さないため」活動している。クリフトンの訪日に同行したこともある。外国人「地球大学生」として船内で発言を続けた。

 元国連軍職担当上級政務官の米国人ランディ・ライデルは、核兵器禁止をめぐり核保有国と非保有国の間で激しい闘争が展開されてきた経緯を語り、合意達成の難しさを説明した。

 イスラエルの核兵器対策について訊くと、「彼らは持っていないと否定するから、取り組みは難しい」と肩をすくめた。かつて小型核弾頭を保有していた南アフリカの首都プレトリアの核施設で原爆製造の跡を見た、とも語った。

 船内では、国連が推進してる「持続可能な開発のための17目標(SDGs)」をめぐる講演会や話し合いも活発に展開された。オーシャン・ドゥリーム号の船体には、17目標のロゴが描かれている。

 知的大家の武者小路公秀は地球規模の文明論を展開。国際政治やジェンダー論の専門家である羽後静子は、17目標を解説、分析し、TPP(環太平洋連携協定)の問題点を鋭く指摘した。

 私はと言えば、NYとクーバに備え、「クーバ革命体制の変遷」、「チェ・ゲバラ論」、「NYの歴史」などを語った。音楽番組では、ファド、シャンソン、カントリーをやった。

 グリーンランド南方、ニューファウンドランド東方の海は寒く、波が高かった。だが、徐々に暖かさが増してゆく。オーロラの余韻を楽しみつつも、心は南下する。 

コロンビア政府とゲリラFARCが新合意書調印へ

 コロンビアのゲリラ組織FARC(コロンビア革命軍)の最高幹部ロドリーゴ・ロンドーニョ(ゲリラ名ティモチェンコ)ら書記局員は11月21日、ハバナからボゴタに到着した。24日に政府と新たな内戦終結最終合意書に調印するためだ。

 8月にまとまった最終合意書は9月26日カルタヘーナで調印され、10月2日国民投票にかけられたが、賛成49・8%、反対50・2%の超僅差で拒否された。

 このためサントス政権とFARCはハバナで修正協議に入り、11月12日、新たな最終合意書をまとめた。和平後のゲリラの処遇などに変更が加えられた。

 双方は24日、ボゴタで調印。これを受けてJMサントス大統領は、国会に審議を要請する。審議終了後、国会が合意書承認の是非を決める。新たに国民投票を実施するには、準備期間が長くなり、巨費が必要なためだ。

 和平に反対する右翼・保守勢力の代表格アルバロ・ウリーベ前大統領らは21日、政府和平交渉代表団と会い、新たな最終合意が絶対的決定にならないよう要請した。

 一方、FARC書記局は21日、サントス大統領宛ての公開書簡を発表。その中で、今年に入ってから左翼の社会・農村活動家200人が秘密結社を装った支配階層に暗殺されており、彼らの責任逃れ、無処罰は絶対に許せない、と糾弾した。

 書簡は、そうした階層は内戦で利益を得てきた者たちだと指摘。過去にFARCの政党部門「愛国同盟」(UP)の幹部ら党員5000人が暗殺・殺害された事実を取り上げ、「政府に道義的責任がある」と強調した。

2016年11月21日月曜日

ベネズエラ大統領がトランプ氏に良好な関係を呼び掛け

 ベネスエラのニコラース・マドゥーロ大統領は11月20日テレビ定例番組で、ドナルド・トゥランプ次期米大統領と相互に敬意を払い合う良好な関係を築きたいと述べ、ブッシュ・オバーマ両政権下で悪化した対米関係を立て直したい意欲を示した。両国はチャベス前政権下の2010年以来、互いに大使を置いていない。

 マドゥーロ大統領は、「ベネスエラとの関係上、ブッシュ(前米大統領)は重大な過ちを犯した。オバーマはさらに悪化させた」と指摘。2002年の米政府支援によるチャベス政権打倒クーデターの失敗を示唆、「オバーマは去年3月、ベネスエラを<米国の脅威>と政令で決めつけたまま撤回していない」と非難した。

 続けて、「最近も政令撤回をオバーマに求めた。このままでは、あのような(愚かな)政令を発した大統領として政権を終えることになる」と述べ、「オバーマと堅固な関係が築けず失望していたが、トゥランプ次期大統領とは敬意を払い合う関係を築きたい」と強調した。

 マドゥーロは、「今年5月にトゥランプ勝利を予測していた。米国民が新自由主義と飢餓賃金にうんざりし、反ヒラリーに向かっていたからだ」とも述べた。

 またリマでのAPEC首脳会議に出席していたオバーマが若者たちとの会合で「ベネスエラ政府は法治を尊重していない」などと語ったことに触れて、マドゥーロは「馬鹿げた発言だ」と一蹴。「ベネスエラは日々に底辺から深い民主を築いている」と述べた。

 この20日、ベネスエラ政府は国営メディア、左翼メディア、インターネットなどを動員し、「べネスエラ不滅の心」と名付けた、反ベネスエラ宣伝への反撃運動を開始した。

 通信・情報省は、米国主導で内外大手メディアが展開している意図的な反ベネスエラ宣伝報道は「非通常型侵略」であり、これにに反撃する運動、と説明。

 マドゥーロ大統領は、「逆境に対する人民の闘争を世界に示す。この運動はベネスエラの真実、微笑するベネスエラ、働き愛し闘うベネスエラ、邪悪な右翼勢力に勝利するベネスエラを表す」と述べ、発破をかけた。
 

~~波路遥かに2016・10~11月~第2回アイスランド~

 オーシャン・ドゥリーム号は10月9日、アイスランド北岸沖の、北極海外縁部に入り、北緯66度付近を航行する。そして10日未明、曇り空が突然晴れ、頭上に北極星と北斗七星が輝き始めて間もなく、私たちは幻想の世界に招き入れられた。

 北極の方面から白い光の帯が縦に何本も垂直に打ち上がり、両側の2本が高速度で伸びてきて、太い光になった。オーロラである。乗船していたアイスランド人専門家は「北の光」と呼んでいる。日本語では「極光」。北極光だ。南極光もあるからだ。

 この航海最大の見ものが叶えられた。船の西側に高く太く迫ったオーロラの先端は、カーテンのように巻いて、ちりちりと燃えてゆく。何という光景だろう! 生涯忘れることはないだろう。そしてオーロラはいったん隠れてから、再び現れ、今度は船の真上に厚い光の幕となって、私たちを歓迎した。

 夜が明けて、島国の西側の狭湾(フィーヨルド)に入る。鯨の群があちこちで塩を吹き、大きな頭と尾びれを何度も見せてくれた。鯨の上を海鳥が飛び交う。小魚に有り付こうとしているのだ。

 首都レイキャビックには2日間、滞在した。雨が降り続けた。ルター派教会の大聖堂前で良い取材ができた。1000年の伝統を持つ議会や、オーロラ博物館、伝承文学館も訪ねた。交通費を含め物価は高い。物資の多くを島外からの輸入に頼るからだろう。

 船の仲間である「おりづる」一行(広島・長崎被爆者と被爆語り部継承者ら)が市庁舎で市長と会い、学生たちの前で被爆体験を語る会合に私も出席した。

 レイキャビックから乗船した故トルーマン米大統領の孫も参加した。その後ニューヨークまで、彼と語ったり、彼の講演を聴くことになる。原爆を投下した米軍機の乗員の孫も乗っている。彼とも話すことになる。

2016年11月20日日曜日

ボリビア原子炉の建設前調査は来年3月終了へ

 ボリビアの原子力開発当局者は政治首都ラパスで11月18日、同市郊外にある標高4000mのエル・アルト市に建設される実験用原子炉1基から出る廃棄物は年間2kg程度で、すべてロシアに送られる、と明らかにした。

 ボリビアのエボ・モラレス大統領は2014年、原子力導入を決定。ことし3月、ロシアと原子力協力協定を結んだ。

 これにより、ロシアのロサトム社が平和利用のための原子力調査所を総工費3億ドルで建設することになった。原子炉1基、および癌早期予測や冠状動脈疾患検査などの医療用施設、食糧安全・無害調査施設が含まれる。

 ロサトム社は来年3月、実現可能性調査を終え、着工する見通し。工期は4年。建設敷地総面積は計15ha。国連・国際原子力機関(IAEA)は、この事業を認定している。

 この種の原子力調査所はラ米ではブラジル、アルヘンティーナ、メヒコにある。ボリビアの施設が完成すれば、ラ米最大級の規模になる見込み。

 廃棄物のロシア移送は、原子炉稼働から15~20年後になると、ロサトム社は予測している。なおボリビアはラ米有数の天然ガス生産国であり、産油国でもある。

~~波路遥かに2016年10~11月~第1回ティルベリーから~

 10月初め成田空港を飛び立って2時間半、韓国西岸のインチョン空港に着いた。東アジアのハブ空港を目指すだけに規模が大きい。海の浅瀬を埋め立てた広大な空の港だ。朝鮮(韓国)語が耳にリズムよく飛び込んでくる。

 ロンドン行きのアシアナ航空便も空港同様、韓国(朝鮮)語の合唱だった。本場のキムチが付いた機内食はうまかった。夜遅く、ヒースロー空港に着く。

 同じ朝、成田空港を私の1時間後に別の便でアムステルダム経由で出発した写真家水本さんが1時間先に着いていて、私を迎えてくれた。ロンドンの街を観ることなく、テムズ川沿いを東方の河口に向かって2時間近く走る。河口に近いティルベリー港に、慣れ親しんできたNGOピースボートの世界周遊船「オーシャン・ドゥリーム」号がいつも通り、白く優雅な姿で迎えてくれた。

 翌日、テムズ川を小舟で渡り、南岸に拡がるティルベリーの街を水本さんと散策する。ロンドンを築いた財は、何世紀にも亘って、この港から運び込まれた。往時の繁栄を偲ばせる街並みだ。

 次の日、ベルギーのブルージュを歩いた。中世が残る美しい古都だ。何十羽もの白鳥が川べりの緑に遊び、運河を小舟が行き交う。乗っているのは、外国人観光客ばかりだ。

 ベルギーは特にコンゴで収奪し、無数のアフリカ人を凄まじく殺戮した。そこで奪った富とブルージュとの関係性は、時代の落差もあって定かではないが、「コンゴ動乱」を想起しつつ街を歩き回った。

 翌日はアムステルダムだ。何十年振りかで、中央駅の輝く姿を観た。海に繋がる運河は、幾つかの水面の高低を調整する水門を経て、この古都まで繋がっている。昔、東インド会社の本店がここにあった。

 この会社のアジア拠点はジャカルタで、そこから平戸、長崎にオランダ人たちはやってきた。そして幕府に、「スペインとポルトガルは日本領土奪取を策謀している」と耳打ちした。これが鎖国の原因の一つとなった。彼らによる収奪と、彼らがもたらした「蘭学」を思いつつ、市電を乗り継いでゴッホ美術館に行き、懐かしい絵に再会した。

  船内で船上講師たちが紹介された。ティルベリーから乗った武者小路公秀・羽後静子両先生、アムステルダム乗船の細川元首相夫人らが紹介された。 私も、紹介された講師の一人である。

 私は最初の講座として「アイスランドの歴史」を語った。『原爆基地』(1948年)を書き55年にノーベル文学賞を受賞したハルドル・ラックスネスや、今をときめく警察小説作家アーナルディルについても話した。「音楽番組」では、東方の彼方のロシアを思いやり、ロシア民謡をまず紹介した。

 外界の情報が正確かつ詳細に船に届くには時間がかかる。コロンビアから到着した、内戦終結のための和平合意承認の是非を問う10月2日実施の国民投票結果は、1ポイント以下の超僅差で「不承認」が勝った。6月の英国のEU脱退を決める国民投票で脱退賛成派が僅差で勝ったのに次ぐ「番狂わせ」だ。

 ならば11月8日に迫る米大統領選挙も、両候補のどちらが勝ってもおかしくない。カリブ海のハイチとキューバを「マシュー」と命名された大型ハリケーンが襲った。10月9日実施予定のハイチ大統領選挙は11月20日に延期された。

 船は北海を北北西に進む。目指すはアイスランドだ。

今日20日、ハイチで出直し大統領選挙実施

 カリブ海のアイチ(ハイチ)で11月20日、大統領選挙が実施される。この国には政党・政治運動が100もあり、その中から擁立された27候補が出馬している。主要候補は次の4人。過半数得票者は出ず、上位2人が決選に進出すると見られている。

 ミシェル・マルテリー前大統領の政権党だった「テトカレ・アイチ党」(PHTK)の候補ジョヴネル・モイス(48)=バナナ生産業者=
。昨年10月の大統領選挙で得票1位になり決選進出が決まったが、投開票時の大規模な組織的不正が暴露され、決選は今年4月に延期された。しかし不正糾弾の世論が高まり、10月9日にやり直し選挙実施が決まった。

 ところが直前にハリケーン「マシュー」が襲来、被災者210万人、死者546人、不明者128人、負傷者439人が出た。選挙は11月20日に延期された。

 有力候補二番手は、野党「アイチ進歩・解放代替連盟」(LAPEH)のジョドゥ・セレスタン技師(54)。昨年の選挙で得票2位だったが、1位候補の不正を理由に決選進出を拒否した。

 次いで、「デサランの子どもたち綱領」候補モイス・ジャンシャルル(49)と、「ラヴァラス家族党」候補マリース・ナルシス(女医)。

 アイチは激しい独立戦争を経てフランスから1804年に独立。20世紀には米国の事実上の属領となり、ドュヴァリエ父子2代の長期独裁が続いた。

 独裁崩壊後、民政、クーデターによる強権支配を繰り返してきたが、民政転覆の背後には利権確保を狙う米政府の関与があった。2010年には大地震に見舞われ、首都ポルトープランス一帯が壊滅状態に陥った。復旧は依然終わっていない。

 今選挙は、トランプ次期米政権が決まってから最初のラ米での大統領選挙として注目されている。