2017年1月18日水曜日

 オバマ大統領が獄中生活36年目のプエルト・リコ独立運動家オスカル・ロペス=リベーラ(74)の5月釈放を決定

 バラク・オバーマ米大統領は任期切れ3日前の1月17日、米植民地プエルト・リコ(PR)の独立運動家で、獄中生活35年半のオスカル・ロペス=リベ-ラ(74)を5月17日に釈放する赦免措置を発表した。

 オスカルはPR生まれで、14歳の時、家族とシカゴに移住。徴兵されヴェトナム戦争に出兵した。シカゴに帰還し、社会運動に参加したが、やがてPR独立運動に傾斜。1976年にPR武闘独立運動地下結社「民族解放軍」(FALN)の要員になる。

 FALNは70~80年代、シカゴを中心に爆弾闘争や兵士襲撃作戦を展開。オスカルはそのような殺傷事件に直接関与しなかったが、81年5月末逮捕され、米PR支配体制打倒の陰謀、武器・爆発物携行などで禁錮55年の実刑を言い渡され服役した。

 88年には脱獄を試みたとして15年加算された。99年、当時のクリントン政権から恩赦対象者になるか否かの意志を打診され拒否。受け入れていれば、2009年には釈放されていた。

 「PRのネルソン・マンデーラ」、「21世紀の岩窟王」などと呼ばれ、世界中でオスカル解放運動が起きた。現在、インディアナ州テレオウト刑務所にいる。

 この日、大統領は服役者209人の減刑、64人の赦免を決定。大量の政府機密をウィキリークスに流し2010年逮捕され35年の禁錮刑に服役していた元米防衛諜報分析者チェルシー・マニングも5月17日に釈放される。

 オスカルの弁護士は、「彼は、自分の解放のために闘ってくれたPR、米国、世界の人民に深く感謝している。オバーマ大統領はようやくPRの息子を故郷に帰すことを決断した」と述べた。

 ハバナのPR代表部のエドゥウィン・ゴンサレス代表は、「オバーマはやっとPRのことを気にかけた。オスカルはPRと米政府との間で中心的な対立案件だった。この解放決定により、PR独立闘争に弾みがつく」と指摘した。

 クーバ人民友好庁(ICAP)のフェルナンド・ゴンサレス副長官は、玖諜報機関員として逮捕され米国で服役していた時期に4年余りオスカルと同じ監房に居たことがある。「彼の抵抗力、革命家としての質、信念の堅固さに感銘を受けた」と語った。

 ICAPのケニア・セラーノ長官は、「クーバは常にオスカル解放のためにPR人民と共にあった。だから嬉しい。他の政治囚解放にいい影響が及ぶだろう」と述べた。

 ベネスエラのニコラース・マドゥーロ大統領は政府会合でテレビを前に英語で、「オバーマ大統領、ありがとう、ありがとう、ありがとう」と、「ありがとう」を3度口にした。

▼ラ米短信  ◎イタリアでラ米旧軍政首班らに終身刑判決

 ローマの法廷は1月17日、1970~80年代に南米軍政諸国で米政府の協力の下で展開された「コンドル作戦」でイタリア人ないしイタリア国籍を持つラ米人を拉致・拷問・殺害した罪で被告46人に判決を下した。ほとんどが欠席裁判で、出廷した被告は1人だけだった。

 27人が有罪判決、19人は無罪だった。有罪27人のうち8人は終身刑。ボリビア軍政期の大統領だったルイス・ガルシア=メサ、内相だったルイス・アルセ=ゴメス、ペルー軍政大統領だったフランシスコ・モラレス=ベルムデスが含まれている。

 ガルシア=メサとアルセ=ゴメスは、1993年ボリビアで禁錮30年の実刑となり、ラパス郊外の刑務所で服役中。2人は1980年にリディア・ゲイレル暫定政権を軍事蜂起で倒し、圧政を敷き、約500人を暗殺、4000人を逮捕した。社会党指導者だったマルセロ・キローガ=サンタクルースも殺害された一人。軍部は、エルナン・シレス=スアソ大統領の就任を阻むため、クーデターを決行した。

 モラレス秘軍政は、ペルー人労働者、ジャーナリストら左翼13人をラパス経由で亜国軍政に引き渡した。イタリア系亜国人の「五月広場の母の会」の活動家3人は殺され、うち一人の遺体はマドリードで見つかった。亜国軍政の捜査撹乱工作だった。モラレスの弁護士はリマで、「イタリア法廷の判決はペルーでは無効だ」と述べた。