2017年5月1日月曜日

 アルゼンチン軍政(1976~83)に肉親を奪われた「五月広場の母たち」が抗議行動開始40周年を迎え、ブエノスアイレスで記念行事挙行

 アルヘンティーナ(亜国)軍政期(1976~83)に少なくとも3万2000人が殺害された。その多くは拉致されたまま「行方不明」になり、遺体・遺骨は見つかっていない。この恐るべき人道犯罪には、当時のニクソン米政権や南米南部の軍政諸国も関与した。

 この国家テロリズムを果敢に追及してきた勇気ある市民団体が亜国に幾つかある。代表的な組織(NGO)は「五月広場の母たちの会」、「五月広場の母たちの会-創設者路線」、「五月広場の祖母たちの会」である。

 肉親、とりわけ娘や息子の命を軍政に奪われた母たちは1977年4月30日、ブエノスアイレス市中心街の大統領政庁(カサ・ロサーダ)前の「五月広場」で軍政に「息子・娘を返せ」と叫び、抗議行動を開始した。それから丸40年が過ぎた。

 軍政は、母親たちの集会にスパイを送り込み逮捕、航空機に乗せて、生きたままラ・プラタ川に投棄した。後に2人の母親の遺体が河口近くの岸に流れ着き、軍政の蛮行が明るみに出る。

 彼女たちは、父、兄弟姉妹、夫、息子・娘、孫らを失った。抗議すれば命を奪われたり弾圧されたりした。その風雪の40年を深い皺に刻みつつ耐えてきた彼女らの生存者たちは、多くは車椅子で、支援者らとともに4月30日、五月広場を行進した。広場では、「行方不明」になったままの多くの人々の顔写真と拉致された当時の状況を書いた文字が展示された。

 「母たちの会」は、民政移管が1983年に成った後、党派性、指導部選出、政権と距離の取り方などをめぐって対立、86年に分裂した。分派したのは、無党派で、突出した指導者を持たない水平組織の「創設者路線」(ノラ・コルティーニャスら集団指導)。一方、「母の会」はエベ・デ・ボナフィニ会長の強力な指導の下、ペロン主義者色を鮮明にしてきた。

 孫を奪われた祖母たち約600人が結成した「祖母たちの会」(エステラ・デ・カルロット会長)は、この4月23日、奪われた赤子をまた一人発見した。122人目で、39歳になる女性だ。「祖母たちの会」は「創設者路線」と協働している。

 「創設者路線」指導者の一人コルティーニャスはこの日、記者団を前に、「軍政期の犠牲者は3万人余では少なすぎる。もっと多かったはずだ。軍政期の機密文書を公開せよ」と、マクリ現政権に訴えた。

 さらに、「大統領よ、間違ってはいけない。あなたたち政治家の言動は記録され歴史になる。拒絶者として歴史に名を残すことになるのだから」と、文書公開を拒否しないよう求めた。

 「母たちの会」のエベ会長は、「マクリ(大統領)よ、ヤンキー(トランプ米政権)と愚かな取引するのを止めよ。さもないと、そのうち尻に一発かまされるぞ(裏切られる)」と激しい言葉を吐き、ワシントンでトランプと会談したばかりのマクリを糾弾した。また、「(政府は)対話に応じよ。呼び鈴を決してならすな(軍政期のような連行は許さない)」と厳しく要求した。

 この日、マクリは1日繰り上げた「国際労働者の日」(メイデー)の、各労連による行事のうち、ペロン派保守派の「62労組」の集会に顔を出した。エベは、これをも批判、「彼らは(労組とは言っているが)働いていない」と遣り込めた。