2018年4月10日火曜日

 コロンビア現代の暴力状況の走り、「ボゴタソ」(ボゴタ騒乱事件)から70年。依然解明されていないガイタン暗殺動機

 1948年4月9日、コロンビア自由党の大統領最有力候補だった政治家ホルヘ=エリエセル・ガイタンが首都ボゴタ中心街で暗殺されてから70年が過ぎた。この日、首都をはじめ各地で追悼行事が催された。
 80代の娘グロリア・ガイタンは、「父の死でコロンビアの歴史の方向性が変わってしまった」と述べた。
 グロリアは、「この国の歴史上、大きな転換を企図した政治家は2人しかいない。(大コロンビア時代の)シモン・ボリーバルと父ガイタンだ」と前置きし、「ボリーバルは王政を共和制に変えた。ガイタンは代表制民主制を直接民主制に変えようと期していた」と述べた。

 70年前、コロンビアでは1946年の大統領選挙で勝ったマリアーノ・オスピーナ=ペレス大統領の保守党強権政権が支配していた。自由党内がガイタン派と反ガイタン派に割れ、オスピーナが選挙で漁夫の利を得たのだった。
 ガイタンは、演説で「私は一介の人間ではない。私は人民だ。人民は指導者(権力者)に勝る」と強調、広範な農地改革を公約に掲げていた。
 国立コロンビア大学法学部に学び弁護士になったガイタンは、卒論として「コロンビアにおける社会主義思想」を書いていた。
 1950年の大統領選挙では、ガイタンが圧倒的支持を得て大勝すると誰もが予測していた。これを恐れたのが、保守党と、反共主義が本流になっていた米国だった。
 彼ら保守・右翼勢力は、コロンビアの自由党と共産党が1949年3月末に交わした「協力文書」を警戒していた。

 70年前の4月9日、ガイタンは友人たちとボゴタ中心街で昼食をとり、表に出たとたん、待ち受けていたフアン・ロア=シエラという26歳の労働者に拳銃で銃弾3発を見舞われた。病院に搬送され輸血を受けたが、そのさなかに死亡した。
 ロアは駆け付けた警官に促されて近くの薬局に身を隠そうとしたが、集まった群衆に引っ張り出され、私刑に遭って殺された。その遺体は綱をかけられて、中央広場方面に運ばれた。
 ボゴタではたちまち暴動・略奪が始まり、植民地風の建物多数を含む建物136か所が破壊された。死者は550~2000人に達したと伝えられる。
 暴動は全国的に波及、保守・自由両党の長年の確執と相まって状況は内戦の方向に傾斜してゆく。ガイタン暗殺に始まるボゴタ騒乱事件は「ボゴタソ」と呼ばれる。

 ボゴタソ後、ゲリラ勢力が形をとり、1959年のキューバ革命の影響もあって、60年初頭以降、にコロンビア革命軍(FARC)、民族解放軍(ELN)、解放人民軍(EPL)、キンティン・ラメ、4月19日運動(M19)などが結成された。
 ゲリラ勢力は、国軍、警察、極右自警団、麻薬組織戦闘組織を相手に戦闘、コロンビアは長期的な内戦状態に陥った。
 コロンビア史には「ビオレンシア」(暴力状況)が付きまとってきたが、ボゴタソは現代ビオレンシア開始の契機となった。

 内戦は最後に残った2組織のうち最大FARCがキューバのハバナでのコロンビア政府との4年間の和平交渉を経て2016年10月、和平に到達。FARCは今年18年の国会議員選挙に参加した。
 一方のELNはエクアドール首都キトでコロンビア政府と和平交渉を維持しているが、和平には達していない。

 「記憶と犠牲者連帯委員会」の統計では、半世紀を超える内戦で、98万3000にんが死亡、16万6000人が行方不明、3万5000人が拉致・誘拐された。当局の拷問に遭ったのは1万人。黒人・先住民ら農民713万人が土地を奪われ、国内避難民となった。負傷者は数百万人に及ぶ。

 「真実究明委員会」のフランシスコ・デロー委員長は4月9日、グロリア・ガイタンら遺族や関係者に会い、証言を聴取。ガイタン家に保管されている資料の分析作業に着手した。
 「誰がフアン・ロア=シエラにガイタン殺害を命じたか」。この謎は解明されていない。私刑加担者はどのような政治勢力の利益を代表していたのか。これもわかっていない。

 ボゴタソには興味深い逸話がある。ハバナ大学法学部学生だったフィデル・カストロが
暴動現場に遭遇、一時、「暴動に参加した」という伝説だ。
 フィデルは、当時の亜國大統領フアン・ペロン将軍が支援していたラ米大学生会議の準備会議出席のためボゴタに滞在、ガイタン暗殺の2日前、ガイタンに会っていた。
 フィデルは、群衆が警察署を襲撃して武器を奪うのを目の当たりにし、これにも閃きを得て、5年後1953年7月26日のモンカーダ兵営襲撃を決行した。
 また1948年4月末、ボゴタソの直後だが、ボゴタに集まった米州諸国外相は「米州諸国機構」(OEA)結成を決めた。
 さらに、作家ガブリエル・ガルシア=マルケスは自伝に、ボゴタソ現場に居合わせたと書いている。そして「フィデルと極めて近いところにいた」という趣旨のマジック手法を展開している。